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加地鳴海の天正戦国小姓の令和見聞録(hatena version)

人類の歴史を戦国の小姓の視点で深く追究していきます。

ビジョンン無き2020東京五輪

 19世紀の普仏戦争でフランスが敗れ、クーベルタン氏が反戦と平和をスポーツ大会開催によって推進したいという、政治的な思惑で、近代五輪が始まったが、政治運動として始まった五輪を政治が利用するのは避けられないようだ。それが当然だとも言える。五輪の成功は開催することでその目的は達成されるわけだが、参加選手達はご褒美としての成績偏向(メダル争い)に執着するようなった。また観戦側もナショナリズム化し、為政者達は国威発揚の場として政治利用するようなった。ヒトラーが世界大戦の前にベルリンでの大会を国家プロパガンダで利用したし、モスクワ・ロスアンゼルス大会では米ソのボイコットの応酬で政治利用されて生きた。それらは夏季五輪でのものだが、冬季五輪でも今回の朝鮮南北の緊張緩和策として南北合同チームが結成され、管弦楽団や応援団の参加ということで、大会は見事成功したかにみえる。政治利用は良い方向に行けば恩の次だが、その逆もあり得るが、南北の平和という強いビジョンが伺えた。  
 2020東京五輪のビジョンがなかなか見えてこないのは何故なのだろうか。東日本大震災復興というビジョンは当初伺えたが、原発事故の後遺症がいまだにおさまらず、汚染水はコントロールどころか、海中に流入し続けているし、中間貯蔵施設もままならず、汚染土壌の塊は全国で溜まる一方だ。2020五輪のプレゼンテーションで最高責任者である安倍氏が、開催の安全性をアンダーコントロール発言で、なんとかイスタンブールを押さえて誘致にこぎ着けたが、開催のビジョンは日本国民には見えていなかった。世界初開閉式の屋根の新国立競技場が英国人のデザインによる設計で、震災の復興と未来への希望や平和を象徴する、流線型のスタジアムが話題にあがり、レガシーとしての価値もあると個人的に思っていた。ところが、日本のゼネコンの横槍で、経費関係でのごたごたもあり、安倍氏はどういうわけかご破算にしてしまった。そして、五輪誘致での裏金問題、五輪エンブレムでの著作権侵害問題などの疑惑もあり、開催8キロ圏でのコンパクトな開催がいつの間にか広域になった。誘致でのプレゼン通りにしないのは明らかに契約違反とも言える。コンペでウソをついて勝ち取れば何をしても良いという島国根性もあったのだろう。2016年のリオ五輪の閉会式に個人的な政治利用で参加した安倍氏には批判が集中した。人気取りの行動が国内ではそうでもなかったが、海外の目からすれば恥ずべき行為ともとれた。1964年の東京五輪にはハッキリとしたビジョンがあった。戦後の復興と東南アジア諸国への謝罪行脚という形で、各国での聖火リレーを行い、最終聖火ランナーは原爆投下当日に広島県で生まれた青年を抜擢した、徹底的平和をアピールする政治利用と見なされた。五輪開催の成功はアスリートのメダル獲得の是非ではない。開催国と招待国の融和と信頼を共有する機会でもある。アスリートファーストではない。反戦と平和の再確認と言う立ち位置でなければ意味が無い。マスメディアもそういう姿勢で臨むべきだと思う。