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仁科広嗣の「新歴史の研究」 ●THE NEW HISTORY EYES●

「THE NEW HISTORY EYES」は人類の歴史を360℃視点で深く追究していきます。    <潮流戯画手帖>

THE NEW HISTORY EYES...Vol.0004

THE NEW HISTORY EYES

Presented by hirotsugu nishina

 

Vol.0004…「昭和天皇の遅すぎた御聖断」

 

 毎年8月15日は誰もが自問自答する日だ。戦勝国も敗戦国も。あの無益な戦争はなんだったんろうかと思う。国家間で争うのは避けたいと思う人がほとんどだとは思うが、人が組織の中で動くとなると、意志決定の念が一人歩きをし、間違った方向へむかうという教訓は人類の歴史に数え切れないぐらい遺されている。昭和天皇の手記がマッカーサーの部下であるホイットニーの文書により、機密解除になり公開されたが、裕仁氏自身が日本国民に対し、こんなにも偏った見方をされていたとは想いもよらなかった。1945年東京大空襲で焼け野原になった光景を、裕仁氏は見に行かれてはいる。しかし、相手国への一撃による有利な終戦交渉を目論むあまり、トルーマン大統領の降伏の打診や、近衛首相からの早期の終戦の忠告にも耳をかさず、広島に第二総軍司令部を構え、一億総玉砕戦法に打ってでてしまった。多くの若者が学徒出陣や特別攻撃隊や人間魚雷などで海に散っていった。私の祖父は上司の将校の命令で226事件での反乱軍に参加。昭和天皇の裏切り?により逆賊になり、生涯、裕仁天皇朝日新聞を憎んでいた。両者とも戦争の謝罪を未だにしていない。玉音放送では昭和天皇の遺憾の意はあるが加害者としての謝罪はない。勝つ見込みもなく、敵国への一撃も不可能な状況を迎え、ナポレオンに心酔していた昭和天皇には、多くの国民の犠牲をどう見ていたか、ホイットニー文書ではその考えが、よく現れている。瀬島龍三氏をはじめとする大本営は、天皇の絞首刑を強く望むソ連に対し、60万のシベリア抑留を差し出すことで、皇室の維持の働きかけのツールとしたという噂は、本当なのかは私は知らない。地方都市がほとんど空襲の目にあい、しなくてもいい沖縄戦や、落とされなくても済んだ広島・長崎への、原子爆弾の悲惨を招く原因にもなった。最高司令官の責任は余りにも重く、国民より皇室の保証と、国体の擁護にこだわった裕仁氏の胸の内は、いかばかりだったのか。遅すぎた終戦の決断は正しかったのかどうか。玉音放送は完全な国民への上から目線でのものだ。戦後の野原に投げ出された非戦闘員の血みどろの耐えてきた努力の上に今の私たちがあることを肝に銘じておこう。靖国神社に祀られていない多くの非戦闘員。その犠牲者の霊を弔うにはどうしたらいいのか。戦争の悲惨さと最高責任者の罪は未来永劫残っていく。1945年7月26日にポツダム宣言が発せられても、日本は黙殺した。早期に昭和天皇がご決断をされていれば、8月6、9日の悲劇は避けられたはずだが、昭和天皇は首を縦に振らなかった意図はどこにあったのだろうか。敗戦後の天皇家の存続を目論むあまり、日本国民のことはなおざりにされていたことは実に悲しむべきことだ。1945年の東京大空襲のかなり前から、近衛首相から連合国への敗戦表明と講和を促されていたが、昭和天皇は連合国に対しての有利な戦況を築くまではと断られた経緯がある。天皇の「拝謁記」のなかで、昭和天皇再軍備改憲のお気持ちがあることがわかった。戦争狂から生物学者への変身は何を意味していたのだろうか。