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仁科広嗣の「新歴史の研究」 ●THE NEW HISTORY EYES●

「THE NEW HISTORY EYES」は人類の歴史を360℃視点で深く追究していきます。    <潮流戯画手帖>

銀座回想2021

私が美大を卒業して数年プロダクションに在籍した後、

就職した銀座の某広告代理店は、

まだ業界ではメジャー的な規模ではなく、

世の中がまだオイルショックの後遺症を帯びた疲弊した経済状態の時だった。

入社試験の時の面接では創業者の社長を目の前にして、

生意気な事を言った記憶がある。

面接時間を自分勝手に要望した私にも非があるが。。。

当然、社長は私に対して「生意気なヤツ」と思ったに違いなかった。

数日後、ダメだと思った矢先に二次面接の通知ががあった。

当日元陸軍中野学校OBのその社長はニコニコしながら、

私の分厚い調査書を手にしながら、

「君はいったいいくら年俸がほしいのかな?」

と私に言った。

「だいたいこれくらいがよろしいかと・・・・」

ちょっと高めの額を提示してみた。

「そんなもんでいいのかね?」

「・・・・・・・・・・・」

私は度量の大きい社長の前に、終始無言でその場を凌いだ。

付き人の女性秘書は私に笑みを浮かべた。

社長はニコニコしながら何も言わずに秘書とその場を後にした。

その後面接関係者から銀座から吉祥寺までのタクシー代を渡された。

その会社には25年間お世話になり、

30歳の誕生日を機に銀座の和光ビルの裏にある(今は閉鎖)

玉屋画廊で個展を開催した。

退社してからも2代目のご子息家族とはお付き合いを続けている。

銀座の街は汐留界隈と連動している。その賑やかさと街の淑徳性には魅力がある。

電通が聖路加タワーの仮住まいから、汐留の本社ビル完成を待って東証に上場した。

ADK(朝通・第一企画)、

読売広告社・大広・博報堂連合の

業界のビッグスリーの誕生だ。

このころにニューヨークの同時多発テロが起こったのは良く覚えている。

その後、勤務先は経営状態が悪化し、IT企業に身を預ける事になった折、

多くの社員が去って行った。私もそのうちの一人だが、

アットファミリー的な社風で美人社員や高学歴の人材がどんどん集まり、

一時は業界でベストテンに数年間名を連ねる勢いではあった。

銀座の街はそのときから少しも変わっていない。

十数年銀座の流通関係のお仕事を単発でさせていただいたが、

今が潮時と思い先月勇退した。

かれこれ銀座には40年ちかく住み着いたことになる。

銀座のクラブのママさん達や画廊の人々はいまでも逞しい。

尊敬できる方は多々存在する。

銀座はいつまでも私の家族で有り、自分の庭のような気がする。