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加地鳴海の天正戦国小姓の令和見聞録(hatena version)

人類の歴史を戦国の小姓の視点で深く追究していきます。

始末書てんまつ記


 私がこの郵便局の二四七番という携帯端末機になってからは久しい。同士の携帯端末達の人生もそろそろ任務終了の域に近づきつつある。時折訪れるシステムのバージョンアップは私には負担が余りにも大きくなった。
 日々膨大な業務処理の途中での再起動の負担は人間様には知る由もない。ストレスの発散や意思を持とうと思った端末携帯には限界がある。どう転んでも、私はキューブリック監督のコンピューター「ハル」のように立ち回れそうにもない。
 携帯端末機二四七番は人見知りが激しいと局内からは使用を控えられている。機器の正常と不具合の差が激しいからだろうという評判だ。局員の間では「この端末は人見知りが激しいんじゃないの・・・」という酷評をうけていた。
 その原因は私の偏向的な性格にあるかもしれない。私は気に入らない使用人がいたら徹底的に不具合を出させエラーの連発を繰り返す。誰にも言えないが、気に入った使用人がいれば平穏に処理を進行させる術を持っている。
 機械には人格はないと言われるがそうでもない。車でも運転手の性格がよく現れるし、飼い犬でも飼い主の性格が良く現れるのと同じだ。人間の心が伝わって端末機器にも疑似人格に到達するものらしい。
 ご主人様である風変わりなケンさんとは十年にもおよぶ信頼関係を築いていた。ケンさんがいなくなって半年が過ぎ、寂寞感が襲ってくる。他の使用人がいてもいつものようにエラーを連発させてしまう性格は治りそうも無い。どうせ私たち携帯端末の同士は近々お払い箱になる運命だ。
 局の人事異動で集配営業のドライバーも入れ替わり慌ただしくなっていたが、ケンさんとの何気ない交流の思い出は消去しようとしても、どうしても残ってしまうのだ。それだけ彼の存在感が我ら携帯端末に与えた影響は無視できないでいる。私の中では未来永劫残っていくことだろう。信じられないかもしれないが、携帯端末機にだって心はあるのだ。人間の五感はよく分からないが、業務処理でのバイブ音で伝わってくるのである程度理解できるようになっている。
 私はケンさんの私物のスマホともリンクしていた。ネットを通じて内緒でケンさんのプロフィールも把握できたので、一心同体という概念を持つまでになった。彼とは以心伝心で理解し合えるまでにもなったのがとても嬉しかった。そんなケンさんが退社してからは毎日がつまらない。彼との楽しい記憶だけが私を慰めてくれる。
 近頃私も人間様のように引退という潮時を気にするようになってきた。2011年の東日本大震災のころから端末スタッフの仲間が増えていた。
 そのころ前年の七月、コンドル便が社員数千人を伴って郵便局に吸収されたが、新聞の公募で多くの別路線組が加わっていた。その中でケンさんが途中入社をしてきた。そういう縁で私と彼は業務で関わるようになった。最大手の運輸会社がコンドル便という赤字部門を手放して、政府の仲介により郵便局に押しつけた格好になったわけだが、押しつけられた方は迎え入れてくれる所に身を施さざるを得ない。ドラゴン便から移籍した数千人は冷遇され、非正規社員としての門出だった。
 それまでの業務で使う端末機器に新しく生まれ変わることになるのだが、ソフトウェアの中核は変わらない。ケンさんは昔、広告代理店で永年働いていた。ところが定年を前にして会社の業績が傾きIT会社に身売りすることになったが、六〇〇人ほどの社員の七割ほどが路頭に迷うことになった。多くの優秀な社員がコンサルタント会社の冷徹な社員の首きりの犠牲になった。ケンさんは優秀でも何でもなかったが、そのうちの一人だった。創業者一族は所有株の売却資産で悠々自適な生活を送っているようだ。
 それまで、私は広告代理店の人間は押し売りとか取り立て屋レベルのものと思っていたので、信用するに及ばずという先入観があった。
 それが集配業務という仕事や人間性を通して、ケンさんも私も少しは進化したかなと思うようになった。一つの鞘には一向に収まろうとしないケンさんの相棒になって十年以上にもなるが、端末の私とはすこぶる相性がいい。プライベートな事も以心伝心で分かるようなっていた。それだけ郵便局員と携帯端末機との絆は強い。ケンさんへの情も湧くようになった。私には今までこんな経験をしたのは初めてだった。
 集配での配達時間帯は一日二時間おきに設定されている。(集配とは集荷と配達の略語である)集配営業部は郵便局では集荷・配達・営業・苦情処理・接客など幅広い業務となっていて、年賀状・かもメール・中元・歳暮・切手販売などを自腹で処理する「自爆営業」が慣例となっている。外部には他言無用の暗黙の了解を強いられていたようだ。内部告発を新聞社が水面下で取材するのも多くなった。
 ネットでも調べれば誰でも分かることだが、郵便局で扱う収益の要はそれまで、郵便物が中心だったが年を追うごとに取扱量が減り、メジャーではあったが今やお荷物部門となっている。ゆうパックや国際小包郵便物、EMSの急伸に頼るしか道はなくなっている。大元の総務省から天下りでポストに就く経営陣には、一般企業でいう危機意識がまったく伺えない。
 郵政民営化が進んだかに見えても、お役所体質はなかなか抜け出せないどころか、日本郵政全体への信用度がどんどん落ちている。大手のマスメディアでも連日のように、管理職クラスの公金横領の不正が報道され、郵便局の全国の特定郵便局長会(保守側)と労働組合(野党側)の二重構造も問題視されている。
 配達時間帯は郵便局に限らず業界標準になっている。時間帯は、八時から十二時、十二時から十四時、十四時から十六時、十六時から十八時、十八時から二十時、二十時から二十一時の配達が設定されている。局の輸送部内では深夜から朝方までの作業となるのだが、睡魔と戦いながらやるのでどうしてもヒューマンエラーは度々起きてしまう。局員は国内外から届けられた荷物の区分をし、配達スタッフへバーコード付きのデータを手渡してから初めて一日の段取りを組むことになる。
 日頃の配達の受け取りで不在票がポストに投函されているのは誰もが目にするところだが、配達側は合間に集荷業務も発生するから体力的にはかなりハードな一日となる。海外や国内から送られてくる郵便局では、一号便から四号便という設定で輸送部というところで管理されている。代金引換や海外からの書留処理もあるから手は抜けない。
 郵便局の集配業務は半数が非正規社員だが時間給で半年ごとの雇用で契約が更新される。還暦直前で入社したケンさんもその口だが、コンドル便が郵便局の集配部門に吸収され、携帯端末としては彼らの手荒い使い方が恐ろしく思ったほどだった。   
 しかし、杞憂はすぐ消えた。彼らが従順に受け入れてくれたからだ。ケンさんはコンドル便から来たわけでは無く、新聞広告の応募で郵便局に雇われた。
 端末にとってもバッテリーの保持時間は八時間しかないので、残業になると局での充電は不可欠だ。苦情処理も多くなっているので、端末での時間調整が効かなくなることも多くなる。
 時間通りに配達しないと「不遵守」という罰則が充てられ懲戒処分になることだってある。ケンさんは裏技をよく使っていた。
 端末とのスクラムを上手くやらないと解雇の危険性がある。ケンさんはそういうスリルをいつも味わっていた。
 例えば、配達指定時間内で処理した場合は即端末に完了済みをセットするわけだが、二十時から二十一時の配達指定の荷物を午前中に配達してしまい、配達完了は後で端末処理するということになる。受取人とのコミュニケーションが上手く出来ていればそういうことはいとも簡単にできる。
 バレたら「お客様の都合で指定前配達の要望が有りご希望に沿いました」とメモを伝票に添付すればいいのだ。そうすればクレームは一切無い。私はしょっちゅうその処理に負われていたが、スリル感はケンさんと同じだった。それだけ彼に同化していたことになる。


 一日目。

 その日はケンさんの集荷と配達業務の初陣の日であった。しばらくは半分見習みたいなものだが、世話人には直属の上司であるタシロさんが車の同乗をしてくれた。
 十年間、私と彼とでは全て順風満帆とはいかず、むしろその逆といったほうがよかった。ケンさんの出社時間は朝の七時半。自宅を出るのは午前六時。起床時間は逆算すると四時半頃となる。
 勤務時間は八時間だが、当初は残業時間が百時間ほどになった。支払い給与はある時期では二倍になるときがあった。出社したら、まず出勤簿に直接記入。集荷ドライバーなのでアルコールチェックは必須だ。
 郵便局の赤い軽トラックはこの局だけで五百台、一トン車五十台、二トン車二十台、自転車三百台、自動二輪車百台、台車八十五台が地上と地下三階までギッシリ詰まっている。
 社員が総勢二千人ほどの大所帯だから、毎日何らかの事件は勃発する。車の日常点検をした後、ケンさんは我ら携帯端末にログインをして初めて業務開始となる。
 それからが大変だ。銀座と東新橋・汐留・海岸がケンさんの担当エリアに指示された。
 中央区と港区の広範囲をカバーするので、配達先や集荷先を覚えるのにも時間がかかる。その上、随時集荷依頼が年々増え続け、海外扱いの集配も増えていた。
 配達される場合は余り意識しないが、配達の当事者達は胃が痛くなるような気遣いを強いられている。ケンさんもよく悩まされていた。集配に使う赤い軽四輪車は殆どが老朽化し、自賠責保険以外掛けられていなかった。
 だから、郵便局の車で人身事故を起こした場合、個人では手に負えないので、会社が誠意を持って対応するシステムになっている。
 巨大な郵便局の地下では、日々、何百台の車とバイク・自転車がアリのように彷徨っている。ケンさんのこの日の担当エリアは東新橋の五〇階建てのタワーマンションAとBだが、一号便の荷物だけでも数百個となった。手始めに、一つ一つ配達先の住所を確認し、居住しているかの確認と伝票と荷物の照合作業で携帯端末に配達個数を入力。午前中は四時間の配達時間だが、局を出発するのは9時ぐらいになる。タワーマンションの地下駐車場に車を留めるのだが、配達の順番を決め午前中の指定でも受取人の手に届くのは大体午前十時前後となる。
 集配業者は何社もあるので、各社間でいつもインターホンの奪い合いになる。おまけに受取人が不在となると端末に入力してレシートをプリントして、荷物に貼り付け、不在票をポストに投函しなければならない。
 宅配ボックスもあるが、生ものや冷蔵物は局に持ち帰る事になるのだが、殆どが二十時から二十一時の時間帯となる。受け取人の帰宅時間を考慮すれば自然にそうなることは目に見えている。それが集中する場合は手のほどこしようがない。
 中元や歳暮、クリスマスなどの季節は配達量には限界があるので、後日配達予定(日送り)の処理を端末に入力するのだが、二四七番にとってはこれがかなりの負担になる。
 不在票は荷物を局に持ち帰った時に、窓口との連携も考慮しなければならない。受取人が直接局に来る場合もあるからだ。局に戻れない場合は携帯端末での電話での対応となる。
 一番困るのは、居留守や悪質なクレイマーで喧嘩をする場合もあるが、配達人はいつも悪者扱いのようだ。ケンさんは初日から受取人との間で喧嘩を始めたものだから、携帯端末としては薄氷を踏む想いで眺めていた。
「○○号室の○○さんでいらっしゃいますか?お荷物です・・・」
 と数分間インターホン越しで言っても全く返事がない。それが何回も続いた。居留守を使う受取人もたまにいるが、ケンさんにしてみれば不可抗力で望むしかない。再配達は通常一週間で、次回の配達担当者に任せることになる。三回目までは再配達をするが、そのうち二回までとなるかもしれない。配達員の負担になるからだろう。
 宅配業界ではそういう流れになる公算は大である。端末側にしても負担は軽くなるから良い傾向だ。
 仕方なくケンさんは生ものだったので不在扱いにした。当然、携帯端末の私にも分かった。不在票を作成しポストに投函。同乗していたタシロさんは他の棟での配達支援でアドバイスはしてもらえない。そして局に戻ったら、担当責任者の部長から
「お客さんからクレームが入ったぜ。どうなってんの・・・」
 とケンさんは怒鳴られたが、局始まっての喧嘩騒ぎとなった。朴訥なケンさんはうなずきながら謝るだけだったが、それを見かねたタシロさんがケンさんをかばいながら、
「どうもこうも無いでしょ。ケンさんは悪くないよ。やるべき事はやっているし、相手がインターホンに出ないんだから仕方がないでしょ」
 突如タシロさんは部長を羽交い締めにして応戦してしまった。大手の新聞社の社会部記者を友人に持つケンさんには強みがあった。部長はケンさんが入社するまえから、友人から上司が集荷での不正を働き何億円もの公金を手にしていたという噂を耳にしていたからだ。タシロさんもそういう噂話を耳にしている。だから刃傷沙汰になっても刑は軽くなる。
 案の定、後日そのことが新聞沙汰になり部長は築地警察に逮捕され懲戒解雇となった。ケンさんは初日から波乱の幕開けだった。その強い印象が私にはあった。一週間後、タワーマンションの管理会社から連絡がはいり、インターホンに故障があることが判明した。
 郵便局とケンさんはタワーマンションの○○さんと和解した。だが、ケンさんは勤務初日から勤務先に始末書を書かされる羽目になった。
 ケンさんは始末書という社の慣例が初の試練となった。書いたことも無い始末書のマニュアルどおりに書き終えたが、それは全くの役所の文書というほかはなく感動も何も無い。始末書は感動させるために書くものではないのだが、とにかくケンさんは初日をなんとかクリアできた。
 ケンさんは十一年の在籍期間中に書いた始末書は優に二百通を超えていた。最も彼は元広告会社のコピーライター上がりだから仕上げるのは苦でも何でも無い。同僚に書いてあげた始末書は半分くらいになった。それくらい、誰もが書きたがらない代物なのだ。ゆえにケンさんの時給は更新しても全く上がる気配はなかった。誰もが彼に同情はしてくれたが、表向きの感謝だけでみんなへの見返りは求めていなかった。そういう温厚な人格だから、ケンさんの味方は増え続けていた。
 仕事を終えた後は始末書を書いてくれたお礼として、度々銀座の夜の繁華街に誘われたので、夜の飲食費にケンさんは全く困ることがない。始末を依頼した代償は安くは無かったことになる。局内ではケンさんの「最強の始末書裏マニュアル」というものが密かに出回り局員には人気があった。人呼んで始末書裏利権といわれても仕方が無い。暗黙の了解の世界だ。


 二日目。


 海岸方面で海外への航空便の集荷担当になった。同乗者は先輩のアオタさんだったが、正社員の課長代理なのに面倒見はからきし良くなかった。
 助手席ではいつも居眠りをする癖が抜けきれないとんでもない正社員だ。これで給料をいただいて居るわけだから携帯端末でも開いた口が塞がらない。ケンさんは仕方なくマニュアルどおりの端末処理を行うことになってしまった。
「これじゃ、少しぐらい間違ってもいいってことだよな・・・」
 とケンさんが思っても仕方が無い。海外への荷物は火気厳禁のものは勿論、生ものや武器扱いの荷物は禁止されている
 例えば化粧品は×だが化粧水は○、アルコール度数二十八度は×だが、二十四度以下は○とか荷物の品名記載には結構うるさいようだ。日本酒やワインは度数が低いので○だが、泡盛ウォッカウイスキー、三十五度の焼酎は航空便では送れない。時間がかかる船便となる。
 安価なリングやペンダントはEMS(国際スピード郵便)で送れるが、高価なダイヤや貴金属などは原則国際小包扱いとなる。
 携帯端末は完全では無いので、宛先が戦時中や政変、疫病などでの直前での対応は難しい。海外への荷物は重量と配達エリアで運賃が決まる。補償額は上限が有り、二百万円までは損害保険が掛けられるが、保証料が高くなる。保険を掛けるか掛けないかは依頼人の判断で決めることが出来る。
 ケンさんのこの日の集荷先は、銀座ナインの古美術商の店だった。刀剣は美術品だが、米国では武器扱いとなり、送る際には美術品である証明書の添付が必要となる。荷物の刀剣は値段が三千九百万円だった。保険は掛けられたが、三千七百万円分は保障されないことになる。荷物の時価が二十万円を超えると税関に二千八百円を払うことになるが、郵便局が仲介して徴収している。
 国際郵便は端末機器では手に負えない。国際小包にはエリアが、アジアが第一地帯、北米・オセアニアが第二地帯A、ヨーロッパが第二地帯B、南米・アフリカが第三地帯と振り分けられて処理される。ケンさんはうっかりして端末に申告価格を一桁間違えて三百九十万円にしてしまった。
 帰局後、ケンさんは後任のN統括部長ロクさんに謝罪した。
「なに、ケンさん、三千九百万円も三百九十万円も大して変わんないよ。気にすんなって。どうせ保障限度は二百万円までなんだからさ。保険料は変わんねぇしさ。客から金もらえればそれでいいじゃん・・・。ケンさんもそのうち分かるが、三千九百万円を入力しても保証料は二百万円としか表示されねぇんだよ。心配すんな。ただ、伝票にはありのまま書きなよ」
 この時、私二四七番携帯端末機器としては安堵していた。ケンさんも、以前の
 逮捕された上司とはひと味違う後任のクロさんとは十年付き合うことになる。クロさんは令和四年秋に局長に昇格した。ケンさんが辞める直前だった。


 三日目。


 ケンさんには散々な一日となったのを記憶している。この夕方銀座の高級クラブSへ高級酒を夜間配達するよう依頼されていた。この日は国会議員たちがこぞって来店する。1ダースもの時代物のフランスワインだった。
 一本数十万円はするだろう。クラブSのママは二十代の頃アイドル歌手で人気があったが、三十代で夜の銀座の世界にデビューし成功をおさめた。ケンさんは宅配の仕事に就く前は、広告代理店のCEOだった。といえば聞こえは良いが、たった一人だけの零細企業で起業したはいいが三年で頓挫してしまった。
 会社はある時期までは地元の商工会議所に加入し、背伸びをして公的な美術館へのスポンサーに加わったり、精力的に銀座クラブの接待攻勢を続けたりして仕事の受注は順調だった。
 ところが、取引先の一企業が夜逃げ倒産をし、ケンさんは多額の負債を追ってしまう。彼は取り返そうとますます接待営業を繰り返す。無担保のキャッシングやショッピングで多重負債者になり、にっちもさっちもいかなくなっていた。ケンさんは後のクラブSのホステスであるユキちゃんとはそのときからの知り合いだ。
 2011年の東日本大震災の数年前ということになる。私もケンさんの郵便局に入社するまでの経緯が分かった。
 この日ばかりはケンさんには相当なショックだったらしい。クラブにワインを配達中にうっかりして1ダースを割ってしまったからだ。
 宅配の損害補償は30万円くらいまでだ。おそらく少なくても時価総額四百万円程になる。特注だから代替品はあるわけが無く、これにはケンさんも辟易していた。そのときクラブSに勤めていたユキちゃんが仲立ちをしてくれたのは渡りに船だった。携帯端末記録では輸送品の事故としてあつかわれた。郵便局の損害賠償で三十万円は支払うことになるのだが、問題はクラブSのママにどう釈明・謝罪するかでケンさんの命運は決まることになる。要するにまな板の鯉ということだ。
 こういう些細な事故でもケンさんは局内での事故事例研究会という人民裁判的な扱いを受けることになる。上司がかばおうとしても端末の記憶データは消せないので、うやむやにしたいが出来ないジレンマがあった。
 とりあえず、ケンさんはユキちゃんに相談した。
「ケンさんお久しぶりね。今郵便局にいるの?社長業はおやめになったのかしら?どうしたわけ?」
 ケンさんは苦笑しながらユキちゃんに説明していた。
「そうだったの。どおりでしばらく会えなかったわけだ・・・」
 当時ケンさんは毎日のように銀座のクラブで接待営業をしていた。ユキちゃんはクラブSにくるまで、六丁目から八丁目のクラブを何店か渡り歩いていた。
 夜の銀座は徹底して一見さんお断りの世界だが、ケンさんは偶然にもユキちゃんとの縁が出来てしまう。ある日、路上でバッグの落とし物を拾ったケンさんが、ユキちゃんを追いかけて事なきを得たわけだが、そのお礼にユキちゃんのいるクラブに出入りすることとなる。
 ユキちゃんは国立系の芸術関係の大学院を卒業して、海外に留学経験もある秀才だったが、高学歴でも偉そうな顔を一切せず、誰とでも親近感を抱かせる素敵な娘さんだとケンさんは周りに自慢していた。
「ケンさんは“男はつらいよ”の寅サンに似ているわね」
 とユキちゃんからは好かれていたが、他の店のホステスさんからの好感度も抜群だったのだろう。経験の浅いホステスは同伴営業から実績をつんで、上に上り詰めていくのは王道となっている。携帯端末の私だってその事ぐらいは知っている。(つもりだ・・・) 
 ユキちゃんは、クラブSの十和子ママから一目おかれる存在になり、右腕として働いている。目下ポスト十和子ママという評判だった。そういうわけで、ケンさんはユキちゃんの計らいでクラブSのママと一対一で会うこととなった。
 おそらくケンさんは十和子さんから値踏みをされることになる。勤務後、私服のケンさんと対面が終わると十和子ママは上機嫌でユキちゃんに値踏みの結果を告げていた。
「ワインの件は放っておいていいわよ。他のワインを大至急用意してちょうだい。その辺の安いものでも構わない。素人の先生方には分かりはしないわ。あなた達で上手く先生達を手なずければ事は済む。後は私に任せて・・・。それと・・・今度ケンさん連れてきて。仕事じゃ無くお客様としてね・・・」
 ケンさんにとって十和子ママとユキちゃんはこの日の大切な恩人になったわけだ。十和子ママには不確かな慕情をケンさんに感じてしまったのかもしれない。ユキちゃんの第六感だ。携帯端末でも人間の第六感を感じ取ることが出来る。よもやケンさんにそんな魅力があるとは想いもしなかったが。十和子ママの希望でケンさんは一見さんではなく常連扱いとなった。ケンさんがクラブSに出向いたのはその一週間後だった。ケンさんが店に来る前、ホステス嬢たちは雑談をしていた。
「ユキちゃん、ケンさんという方はどういう方なの?何か緊張するー」
「サトミはだめねぇ。銀座に来て何年になるわけ?オレはサトミお嬢だ、ともっとドッシリ構えたら。だから同伴営業でもポカをするのよ」
「亜希ちゃん何言ってるのよ、そういうアンタだってお客さんに振られたくせに・・・」「ミスズねぇさんの爪の垢でも煎じたら・・」
「ちょっと、いい加減・・・おしゃべりはいい加減にしなさい・・・」
「わかったわ。でも、コロナ禍でもってこうも不景気じゃ私たちはこれからどうなるのかしら。とても不安なのよ」・・・」
「だからカモがネギ背負ってくるのを待ち構えるんでしょうに・・・」
「鋭いこと言うわね、アケミは。あたし達がここで言っても仕方の無いことなんだけど・・・」
「なになに・・・・」
「またサワ子の時事放談が始まった・・・」
「どういでもいいけど、なんとかならないのこの不景気・・・」「
 ロシアとかウクライナとかNATOとか何とかで世の中どうにもならなくなってしまったか・・・」
「五輪なんかやっても意味が無かったかぁ・・・」
原発の汚染水はもう限界で海に流すんだって・・・」
「世も末だわよねぇ・・・」
「こういうときは国会議員の先生方に・・・」
「だめだめ、通信費の使途不明をそのままにしてしまう位の日本の政治家は使えない」「原水禁の国際会議でも日本は参加しないってどういうこと?」
「国会議員の既得権を廃止するべきね。世界一高い議員報酬も問題・・・」
「今だって制空権はないし、民間の航空機の飛ぶエリアは米軍の支配下に置かれている。アメリカさんの虎の威を借りて威張っているだけの国なのよ、どうせニッポンは・・・」
「ニッポンはもうすぐ最貧国になるってほんとなの?」
「言わなくてもわかってるでしょ?GDPで一人あたりの所得が韓国にも抜かれて、イタリアにも抜かれそう・・・」
「G7では最低か・・・」
「生活がキツいわけだ・・・」
「議員報酬制度なんかなくなればいいのに」
「そんなことしたら、あたし達の実入りがゼロって事になるわよ・・・」
「それは困る・・・・」
 ホステス嬢たちが世間話をしている間に、ユキちゃんと十和子ママはケンさんと談笑のひとときを終えていた。ホステス嬢たちは肩すかしを食らったことになる。そんな彼女達でも高学歴・出目は立派なのだ。店の客達は彼女たちを先生と呼んでいる。二四七番の端末携帯はケンさんのスマホとリンクしているから、会話の内容は筒抜けだ。
 今ではクラブSはユキちゃんに任され、十和子さんは7丁目の並木通り新たに専用のクラブを新装開店したが、コロナ禍でも繁盛している。宅配の些細な事件でも結構面白い顛末に私もケンさんには苦笑いを隠しきれない。といっても、携帯端末の私が入っても始まらない


 四日目。


 ケンさんにはまた試練が訪れていた。端末機器にとっても絶体絶命の危機だ。その日は定時集荷といって、銀座界隈の取引先の企業に時間ごとに集配する事になった。およそ一日30社に赴くわけだが、分刻みでの業務になるので集配人も大変だが、携帯端末のほうはかなり酷使されることになる。
 携帯端末のバッテリー稼働時間は八時間が限度だが、ケンさんたちは合計10時間業務に当たるので、悲劇は必ず起こることになる。私たちは他の宅配会社の端末より安価な代物で性能もあまり良くないというのが局での反応だ。そこに酷使とくると常に背水の陣で立ち向かう覚悟が必要となる。
 郵便局の親玉である総務省は、予算を増やして改革を進めているのかあやしいものだ。携帯端末の同士の間ではそう言われているが、人間達への叛乱は出来るはずも無い。
 一件目14:00は老舗の画廊で郵便物の定形50g500通47000円、EMSカタールへの航空便2kg2点9000円。定時集荷なので原則差し出し票処理、例外として現金処理も多い。合計13700円。サインか署名をもらって完了。
 二件目14:30はYミュージック、ゆうメール定形外500g1000通310000円、ゆうパック80サイズ九州宛て一個2040円、レターパックプラス5個、合計312040円差し出し票。
 三件目15:00はタクシー会社、定形外250g50通12500円現金、
 四件目15:25外資系ホテル、EMS中国宛500g3点4200円現金、
 五件目16:00老舗菓子店、定形25g400通33600円、簡易書留定形25g3通1212円、合計34812円差し出し票、
 六件目16:30メガネ店、EMSニュージーランド宛700g3点9300円差し出し票、
 七件目17:00クラブX定形郵便50g800通75200円、ゆうパケット3点990円合計76190円現金、
 八件目17:40PR会社ゆうパック60サイズ都内宛て5個6650円差し出し票、
 九件目18:00テレビ局、EMS台湾宛500g3点4200円差し出し票、
 十件目18:30和服店ゆうメール定形50g1000通90000円差し出し票。
 こういう業務が日々まだまだ続く。
 そのほかの集荷は局からの集荷担当の連絡係から直接口頭で支持が来るという、毎日のスケジュールになるが、携帯端末の処理量は限界に近くなってくる。
 ケンさんも定時集荷の作業中にバンバン電話を入れられるから、携帯端末も大変なのだ。勿論、集荷に回れば配達は不可能になる。局では配達と集荷サービスは棲み分けをしてバランスをとっている。案の定、携帯はパンクしてしまった。一日の端末データは無くなってしまったが、パソコンで処理してくれるようなので、ケンさんにとっては生きた心地がしなかっただろう。


 そして運命の五日目がやってきた。


 郵便局では会社側と労働組合側との36(さぶろく)協定という決まりがある。一日の残業の上限が4時間まで、一ヶ月間では80時間、一年間では360時間が残業可能となる。ケンさんの運転経歴は長いが、どうも車でスピードのスリルを優先する性格のようだった。それが仇になって配達の途中で、事故を起こしてしまった。
 車の停車中にメッセンジャーボーイの乗る自転車に前のドアが当てられて損壊してしまった。彼は転倒したが、自転車は全く無事でそのまま名を告げずに立ち去ってしまった。早速ケンさんは近くの交番に行き事情を話し、局の担当部署の直属の上司クロさんに報告した。クロさんはドラゴン便では生え抜きの人で、まだ郵便局に吸収されるまでは期待されていた。
 べらんめぇ口調は彼の口癖で、何事も根に持たないさっぱりした江戸っ子である。ケンさんは交番に事故の調書を取りにいったが、相手が判明しないのでは成立は不可としながらも、一応届けは受け取ったということになり、警察ではしばらく静観することになった。
「バカヤロー、てめぇ何やってんだよー。早く帰って来いよ」
 とクロさんに言われても運転席側のドアは衝突で反り返り、閉まらない。仕方なくケンさんは決死の思いでドアを掴みながら、局に命からがら帰ったわけだが、事はどんどん大きくなって局長がケンさんにキツいお達しがあるのは目に見えていた。案の序、懲戒処分となったが、物損扱いなので比較的軽い処分になった。
 総勢100人近くの社員の前で行われる恐怖の事故事例研究会が待っていた。この日の事故以外にケンさんは二年後、さらにとんでもない交通事故に遭遇することになる。この日の事故はその布石にもなっていた。いやな予感が携帯端末247番の隅々まで行き渡っていた。
 郵便局の事故事例研究会では、交通事故以外にいろいろなケースがある。現金書留を配達中に紛失した、誤って別の住所に配達してしまった、集荷先でお客さんと言い争いになった、局員が釣り銭を誤魔化して賭け事に使った、集荷の金額を間違えた、配達途中で声を掛けられ本人でも無いのに荷物を渡してしまった、荷物を破損した、集荷の途中に路上で立ちションをした、集荷の数量を少なくして得意先の請求分を少なくさせた、切手収納分を使用済みにしないで換金した、郵便物を自宅で隠匿した、
 など多種にわたる事故事例研究が行われている。みんなの前で反省の弁の後、始末書を提出しなければならないという面倒くささが、局員のあいだでは漂っているのが、携帯端末でも認識できる。
 ケンさんは勇猛果敢に反省の弁を述べ、平穏にその場は終わる者だとみんなは思っていた。しかし、その期待は思いっきり外れてしまった。事故の反省を述べた後、ケンさんは宅配業界の経営的な問題点と未来志向について三時間も演説をしてしまった。これには局長もさすがに驚いていた。以後ケンさんは事故事例研究に呼ばれなくなっていた。私としては結構痛快に思えた。

 週五日間の勤務を終えたケンさんに待望の二日間の休みが訪れた。
 局にいる私にとっては、寂しい限りだが、ネットを通してケンさんのプロフィールを探し出す事が出来た。
 ケンさんは新潟県の出身で高校を終えてから地元の暴走族としばらく遊んでいた。厳しい祖母の往復ビンタで目を覚まし、心を入れ替えたようだ。上京して数年間一般企業で働いたが、知人のすすめで美大に入った。裸婦モデルを描きたいという単純なきっかけだったが、デッサンはさすがに上手かったらしい。ケンさんには中学時代の初恋のサヤカちゃんが忘れられないという寂寞の思いがあった。
 実家の経済的事情で学費が払えなくなったので、ヌードモデルをするようになり、なんとか卒業は出来たが、女子学生の間ではポーズを見て卒倒させるほどの体つきであったらしい。
 携帯端末の私にはどういう風景かは想像できないが。卒業後は銀座の広告代理店に就職した。その業界は普通の道徳観や感性を持った人達にとっては鬼門とも言えるもので、手っ取り早く言えば、手数料略奪業界と言っていいほどの世界だったらしい。
 まともな人達も多かったが、世の中の世論を正常化するような正義感のあるような業界には見えなかったようだ。
 それでも、腐れ縁で25年もその業界に居座った事実は曲げられない。要するに浮浪雲の様なケンさんにはお似合いの業界だったのだ。21世紀になり、社の業績は伸びるも資金回収が足かせになっていた。売り上げは伸びているのに、企業の運営資金が不足していたのだ。
 小泉政権での銀行の貸し剥がし政策や統合が、会社の身売りに火をつけた格好になった。創業者は尊敬できる人だったらしいが、幹部はみんなイエスマンで後が続かない。
 社員六百人の六割はリストラされ路頭に迷っていた。
 ケンさんもその一人だが、退職金は雀の涙で生活は破綻寸前だった。仕方なく、自営業で政府系の金融機関に融資してもらい数年間は凌いだが、取引先が夜逃げ倒産のあおりを受け多額の負債を招くことになった。
 銀座の接待営業でユキちゃんに会ったのはそのときである。ようやくケンさんの人生の一部を知ることになった私は、ますます関わり合いたくなっていた。
 とにかくケンさんは縁あって宅配業界に身を投じることになる。日本郵政の民営化には様々な問題がある。ケンさんには明確な思い入れがあった。それは、ユニバーサルサービス精神というもので、日本国の隅々にまで損得なしで貢献できる働き方というものだった。
 今でも米国の郵政公社は赤字であっても国営を貫いている。私も日本の郵便事業政策は間違いだらけと思うようになった。総額四百兆円もの資産は米国にとっては打ち出の小槌となるとケンさんは思っているはずだ。
 戦後八十年近くも米軍が日本国中に駐留すること自体異常と思わなければならない。制空権はまだ存在せず、民間航空機が米軍の許可の元、航路が決定することも理不尽だ。携帯端末の私には、地政学的な論理は派生しない。
 私はケンさんの頭の中をのぞき見しているだけだ。ケンさんが局から居なくなってからも彼のプラーベートはベールに覆われている。
 ケンさんの年齢は還暦を超えていることは分かったが、独身なのか既婚なのかは誰にも分からない。ましてや携帯端末で局での業務でしか彼との世界は築けない物理的な地場がある。生活感がまったく感じられず、金持ちなのか貧乏なのかも推測の域をでない。 
 ケンさんとは入社の同期でナンバさんから聞いた話からでも、ケンさんの実態は掴めていないそうだ。若いときはイケメンでさぞかし女にはモテたんだろうなと想像は出来るが、普通の人とは違うスタンスとディスパレートな性格が彼の実像を掴むのを困難にしている。
 著名人でもプライベートがベールに包まれて全く情報が無い人は結構いるらしい。ケンさんがファンであった俳優の田村正和さんや、刑事コロンボのドラマで有名なピーター・フォークさん、MLB松井秀喜さんなどはプライベートな話は一切聞かない。女優さんでは、原節子さん、芦川いづみさんなどもその類いにはいるが、ケンさんが今一番心の中で気を留めているのは、女優引退後消息を絶った渥美マリさんであることが分かった。大映が崩壊する直前まで社を救っていてくれた女優さんらしい。
 当時のCDやポスターを部屋中に飾っているという。学生時代にどん底の時救ってくれた恩人だともナンバさんには言ってはいたが真実はわからない。
 私もケンさんのプライベートを追うのはもうやめにした。宅配の仕事をしているケンさんがいれば毎日がスリルと規格外な行動が楽しさを生んでくれるだけでも私はとても満足だからだ。
 ケンさんが入社して三年が経った。配達の業務は卒業し、集荷専門部隊に配属され、銀座界隈・東新橋・海岸・芝浦、そして霞ヶ関界隈までが担当エリアなので、毎日がハードで何が起こるか、私にとっても不安だけが先行してしまう。
 携帯端末が人間様より不安がるのは全く手に負えない。しかし、いくところまでとことん付き合うしか無い運命にあるのだから、自然体で望むほうが良いと割り切っていこうと思う。集荷は入社して臨時的に業務に就いたが、専門部隊ともなると仕事量がとても多くなる。集荷先との接客のセンスも要求される。
 ケンさんは接客はなれたもので、相手と笑いながら喧嘩をする場面でもブラックジョークで軽く乗りこえる術を持つ。女の人には結構人気があった。その日はナンバさんと二人でやる集荷業務だった。
 現場はドールのイベント会場でゆうパックの集荷だった。イベント会場の倉庫には返送用の膨大な人形の荷物があり、軽トラックだけで詰める量ではないことは分かっていたので、クロさんが事前に10トントラックを手配してくれていた。
 そこで、集荷作業を終えた後、翌日に行方不明と誘拐のニュースが流れていた。行方不明者Aくんはドールのイベント会社の従業員という事だった。ケンさんとナンバさんは、「そんなの関係ねぇ・・・」という口調だったが・・・。彼らが集荷した荷物の箱の中にAくんは、閉会パーティーで飲み過ぎて寝込んだらしい。
 誤って鍵のかかった人形の大きな箱で寝込んでしまったという。ゆうパックは30kgまでの重量と3辺の合計が170ミリまでのサイズが限度だが、ケンさんとナンバさんはまさかと思い、そのまま人間と人間を荷物として受け入れてしまった。
 途中のチェックで箱の中に人間が入っていた事がわかり、ケンさんとナンバさんは後日、クロさんから始末書を書かされる羽目となった。二四七携帯端末としてもこれには笑いこけなければならない。当然、ケンさんとナンバさんは懲戒処分になった。

 ケンさんは始末書を書くのがとにかく上手かった。

『始末書。○○局長様。担当者/第○集配営業部、期間雇用社員、○○ケン・ナンバ○○。この度私ども○○ケン・ナンバ○○は○○年○月○日、午後○○時○○分、港区海岸一丁目○○番、○○倉庫イベント会場の集荷業務におきまして誤集荷を発生させてしまいました。荷物の集荷作業を遂行していた折り、誤って人形と人間を同じ箱に梱包してしまいました。その日の中継地点で誤りが確認され、荷物の引き受けは停止となり、お客様にと局の方々には大変ご迷惑をおかけしました。今後は気を引きしめ、猛省は言うに及ばず再発防止に鋭意努力して、さらなる精進を重ね業務に励んで参りますので、何とぞ寛大な措置を賜りますよう切にお願い申し上げます。以上』
 と言う具合にマニュアルどおりに始末書を書くと思うのが普通なのだろうが、ケンさんは違った。
 始末書のほかに局では前代未聞の文書が明るみに出てしまったのだ。追伸で、日本の郵政問題と国際情勢について長々と綴ってしまったのが運の尽きだった。
 驚くべきことに、それが上奏文という形で誤って総務省に配布されてしまった。長すぎるその内容とは・・・・・。

『始末書ご追伸/総務省様、および〇〇郵便局長様。担当者代表/〇〇ケン。所属/〇〇郵便局第〇集配営業部、期間雇用非正規社員扱い、時給最低賃金並み〇〇〇〇円、生まれは新潟県、学歴は〇〇大学卒、職歴は悪評名高い〇〇広告代理店で〇〇年在籍、リストラで路頭をさ迷ったのち、起業。得意先の夜逃げ倒産で個人でも多額の債務を抱え、三年目で廃業。私生活では民事再生を三年間で完済後、ドラゴン便が郵便局に吸収される際、集配ドライバーとして新聞広告に応募。面接官とはハッタリ戦略で見事採用される。趣味は、ハードロック音楽鑑賞、美女を眺めること、自己陶酔的な官能小説を書くこと、美術鑑賞、ブログやYouTubeに発信すること、銀座のクラブで楽しむこと。
<以下上申書>

 謹啓
 幹部の方々及び経営責任者の方々におかれましてはご清栄のこととお慶び申し上げます。日々グループ社員への真摯な取り組みには厚く御礼申し上げます。
 始末書の詳細は表面で述べさせていただい通りでございますが、入社間もないわたくしにとって日本郵政の未来を危惧するものとして、この場を借りまして、はなはだ恐縮ではございますが、述べさせていただきます。今後何かのご政策のための一助になれば幸いでございます。

 御追伸:国際情勢と日本のあるべき姿。

 始末書の添え状にこのような拙文をお出しするのは誠に申し訳なく存じますが、郵便局の末端現場の意見としてご査収いただければ幸いに存じております。米国大統領の裏には親中派国務長官が後見人のような立ち位置にいるのは誰もが知っているところであります。米国と中華人民共和国が果てのない目先の損得勘定にこだわっているのには、いわゆる両国が世界の覇権を分け合っていくための目くらましに過ぎないとも思えるのですが、はたしてそこから見えてくるものは、はっきり言って日本外しにほかなりません。
 戦後、表向き日本と米国とは蜜月状態にありますが、私たちは広い角度と深度で対処していかなければならないことは明白であります。例えば、日本の元総理の祖父は戦前大政翼賛会満州国朝鮮半島を取り仕切る中枢の人物でした。満州国通信社(国通)のトップとの深いつながりもあった。その孫が総理を担当しているものだから、周辺各国は身構えているのです。いわゆるトラウマとうものなのでしょう。しかし、それは歴史的事実なのだから仕方がないのです。
 現在の国立感染症研究所の前進は旧関東軍の防疫給水部(第731部隊、石井部隊)の本丸だったことは今の若い人たちはあまり知られていません。いまでも中国大陸の各地には未処理の化学兵器の爪痕が残されています。習近平氏や韓国大統領や金正恩氏の日本への敵対的姿勢の原点はそこにあることを忘れてはいけません。北朝鮮との間では拉致問題の提起は真逆の方向にいくだろうというのは当然だろうと思います。1972年に米国政権が中国の経済が良くなれば民主化に拍車がかかるだろうという思惑は見事に外れました。
 いま思えば中国5000年の王朝の歴史の認識を持たない戦略だったのかも知れません。中華人民共和国が建立されたと同時に、それまで国連に加盟していた中華民国(台湾)を仲間外れにし、国連に加えさせ米国の思惑で常任理事国に昇格させた罪は大きいと感じるのは私だけでしょうか。周恩来氏と国務長官の太平洋は米国と中国で二分する構想はいまだ立ち消えてはいません。
 関税やハーウェイ論争は貿易赤字解消にはなんの効き目もないように思えます。米国は米国債金融資本システムを確立し、いくら自国が赤字でも経済は焼け太りするという状況は変わらない。米国は世界のリーダー役を降りたので、中華人民共和国が台頭するのは自然の理なのでしょう。しかし、一党独裁共産党の旗を振りかざし、人民解放軍が人民弾圧軍となり、人権を無視した政の限界は避けられません。
 中国の一帯一路の発想は大唐帝国が参考となっているようですが、第二の孫文のような指導者が現れて、民主化が加速する可能性はなくありません。以前日本がイージス・アショアの設置エリア選定において、秋田でのデータが間違っていたといいますが、グーグル・アースを使ってやること自体が問題だったのです。
 防衛省が現実的な計測をなぜしなかったのか。まさに純国産基本ソフトを持たない日本の脆弱さを露呈させているようなものです。米国追従一途の日本はこのままだと世界から埋没してしまう危険があります。

 郵政民営化だってこの先どうなるのか不透明です。安倍氏でなければ首相は務まらないという見方は間違いでした。党を超えての新たな日本のリーダー出現に期待したいものですが、皇室の国体の保全と引き換えに、半永久的な米軍駐留の意向を唱えたのは他ならぬ皇室側であることは充分推測できます。
  そのことが戦後以来まともな日本のリーダーが輩出しない風土の起因ともなったのです。米国の元大統領は根っからのビジネスマンでした。彼は大恐慌前のフーバー大統領に酷似しているとの噂ですが、両者の政治的資質は全く異なります。
 大統領が米国と世界の分断に大きく寄与したというのは歴史的なブラックジョークになりますが、もし彼が2024年に再選を果たしたのなら、世界はさらに苦境に陥るかもしれない。それは覚悟をしておくべきです。別の人が大統領になってもおそらく分断の様相から脱することが出来ないでしょう。
 国内ではワクチン開発競争が激しいけれども、日に日に変身をとげるウイルスへの特効薬はあるのかどうかは未知数です。COVID-19は終息には10年はかかるだろうと専門家も言っているわけです、IOCも当然それに呼応して開催の是非を判断する可能性があってもよかった。
 リーダーのいない21世紀の四半世紀。未来の歴史書にはそう記されているはずです。マルサス人口論的な視点では、人類が地球上で生息できる許容範囲は約八十億人とされています。
 地球上で過去の遺産を食い潰している21世紀文明の終焉はいつ到来してもおかしくありません。今世界は牽引するリーダーが存在しない。小山の大将レベルの面々が各地で首を洗って待っている光景は人間の運命を表しているのかも知れません。
 日本国内において毎年8月15日は太平洋戦争の終戦(敗戦)記念日ですが、侵略された東南アジア諸国にとっては戦勝記念日となります。戦記念日での式典では当時の首相が、東南アジア諸国に対しての加害者のお詫びと反省の弁がないと内外から批判されていました。
 彼の祖父が大政翼賛会軍事政権での中枢的存在だったというのが一番大きな要因でしょう。戦争というのは負けた側が莫大な損害賠償を戦勝国に行うのは有史以来当たり前の事で、敗軍の将多くを語らずというのは個人的には理解できます。トップリーダーという意識をもつのなら、負けた以上いくら恥をかかされても腹をくくっていく器量も必要です。
 ドイツが第一次世界大戦後、天文学的な損害賠償を戦勝国側に支払うというベルサイユ条約というものがあったが、ヒトラーは払わないという強硬な手段を使った。しかし結局今世紀にドイツは約100年をかけて現メルケル首相の在任中に完済しました。
 国体が変わってもあくまで律儀なドイツ国民の一途さには畏敬の念を抱いた覚えがあります。第二次大戦での賠償額はそれ以上に厳しいものにはなっているでしょうが、ドイツのように戦後日本は、昭和天皇の退位や何らかの形で国体は変えるべきだったと思います。
 さて、我が国の将来と社の行く末についてですが、恐縮ですがご助言賜りたいことがございますことをお許しくださいませ。
 昨今の管理職の不正や特定郵便局長の公金横領、経営層唐突な海外の企業とのM&Aの失敗による多額の損失についての釈明を未だにいただいてはおりません。上層部の皆様においてはどのようにお考えなのでしょうか。 我が国では郵政民営化がようやく定着化の様相を呈しておりますが、レームダック化しつつある三権分立とともに、郵政民営化への限界に時が経つにつれその弊害が感じられるのは、一般国民でも課題が多い難事業ではないかと思われているのが気がかりな事なのでございます。
 米国ではトランプ政権でもバイデン政権でも財政的に厳しくても郵政事業は民営化されることはなく、立派に公社として確立しているのは一体どういうことなのでしょうか。
 米国の年次改革要望書は実質的な戦後の日本統治コントロールのマチエールとして、利用されているに他なりません。日本郵政の総資産額は実に四百兆円ほどになり、民間企業になった今、海外ファンドの格好の標的になっており、場合によっては、日本国民の虎の子の資金が剥奪される危険性も排除できません。
 企業の内部留保金も八兆円ほどを有しており、このことが甘えとなり、経営層が損失を被っても責任を取ろうとしない体質になったのだという風評も無視できません。これは中途半端な郵政民営化を推し進めた国の責任ともいった方がいいでしょう。
 郵便局の集配現場では経営層の政策の失敗により、リストラや待遇面で冷遇されているという状況になっており、おまけに自爆営業やかんぽ生命の不祥事の多さに辟易せざるを得ない薄氷の日々を過ごしております。
 今後とも経営層の皆様方の深い見識と叡智でもってグループをより良き方向導いていただき、ご指導とご鞭撻を賜りたいと切に願っております。

 ○○郵便局 非正規社員 所属○○部所属 ○○ケン。敬白』

 最後にこの業界に対する思いを述べたいと思います。二十一世紀初頭での小泉政権下での郵政民営化案ですが、それは米国の要望で確約してしまったものだから、国会で否決されても強引に国会を解散してまで推し進めざるを得ない理由がありました。
 ちなみに米国の郵政公社は今でも国営です。郵政民営化のゆがみが日本の国体に影響しているかもしれません。個人的な縁で、ここ10年ほどこちらの業務に関わったことがあるので、一般論だが私感を述べてみます。 2010年に日本郵便は日通の赤字部門だった宅配便を迎え入れました。とは言っても、実際は日通側が宅配便を手放したといったほうがいいでしょう。私もそのころ日本郵便に集配営業という形でお世話になりました。集配営業部という部署です。
 日本郵政は、日本郵便・ゆうちょ銀行・かんぽ生命を束ねる形でのホールディングスですが、旧特定郵便局普通郵便局の二重構造となっており、社員と非正規社員(特に日本郵便)の割合が半々という人材構成も大きな社会問題にもなっています。現場よりも中間管理職の犯罪が多発するのは、郵政民営化での迷走経営が原因なのかもしれません。
 現場での集配社員が正規の営業を遂行しても上司達が不正を働く環境を作った責任は総務省にあります。現場の人間にやる気がなくなるのは自然なことです。2010年以降、年賀ハガキや中元・歳暮の自爆営業も無くなることはありませんでした。むしろ増え続けています。
 建前では社員の評価には関係が無いと言っても、結局は現場での営業成績をもとめられるので、自爆営業の道を選ばなければならないのです。確かに一般企業ならば毎日のノルマは普通ですが、日本郵便の場合には非正規社員が半分ほどなのだから、成果を上げろと言われても無理なものは無理なのです。
 それでも会社としては売り上げの実績が無ければ、背に腹は替えられないから、中間管理職以上にはどうしても無理が生じてくる。今後もその役人体質は変わらないでしょう。
 旧特定郵便局長の犯罪が多発しています。日本郵便では切手は現金扱いなので、換金は簡単にできます。大量の集荷物の数を不正に少なくして業者から賄賂をもらう事件も多発しています。
 何億円も納めた切手はローラーで使用済みにしてしまうのですが、管理職のレベルでそれを悪用すれば公金を手に入れられます。そういう事件が後を絶たないのは何故なのでしょうか。
 郵政民営化の闇が表沙汰になって日本の社会全体が立ちゆかなくなる可能性はあるかもしれません。米国と同じように、日本も郵政公社として国営にもどすべきなのではないでしょうか。日本全国で健全なユニバーサルサービスを継続するために・・・』

 この文書を受け取った本部はさぞかし驚いたに違いなかった。始末書は普通、部の責任者が目を通し局長に行くものだが、ケンさんは直接最高幹部へ送ってしまったのだ。
 さらに、大手新聞社の友人記者にも文書を送り、実名でオピニオンの欄に掲載されてしまう。これには、会社のトップもケンさんを首にするわけにもいかず、時給据え置きという処置を施すのが精一杯だった。私にとっては痛快そのものだった。
 その後のケンさんは、現場を除いて社の誰もが腫れ物にさわるような扱いをされてはいたが、彼は一向に意に介さず初心を忘れずにいたことが私にとって唯一の癒やしになっている。ケンさんは相も変わらず、日々始末書の処理になやむ現場社員の羨望の的になった。
 入社五年目に入ったケンさんは、ナンバさんと汐留・東新橋界隈の集荷専属の担当になった。勤務形態は夜勤扱いで、出勤時間は十三時から二十一時半。休憩時間が四十五分なので、八時間の拘束時間となる。それも一番やりたくなかったマスコミ業界の会社ばかりだった。ここでも、結構な一悶着がありケンさんの進退問題にまで発展してしまった事件が勃発した。
 ケンさんとナンバさんは同期の桜ということもあり、入社時にはすぐ溶け込めていた。どんぶり勘定のケンさんと緻密派のナンバさんとは百八十度性格が違うこともあるが、とにかくウマは合っていた。大阪の道頓堀近くで生まれたナンバさんは、理系の大学を出て五十代で訳あって大手のIT会社を退職し、郵便局で最終ステージを全うする心意気のようだった。ケンさんの入社の動機はベールに包まれていて、プライバシーの牙城は攻め落とすことは難しい。私にとってはナンバさんとの会話から想像するしかない。
 この年、ロシアが親ロシア派の住民投票クリミア半島で行いウクライナから独立させていた。その後東部二州をも独立承認させていた。それが何年か後、取り返しの付かない紛争に繋がることは目に見えていた。
 テレビ局や広告会社・新聞社・通信社などはマスコミ業界でケンさんの古巣でもある。ゆえに集配の業務はケンさんにとっては、以前から知っている人が多いからやりにくくなる。ゆえに、ナンバさんの登場ということになる。
「ケンさん、シムカードって知ってます?上手いことやらへんと損しまっせ・・・」
「ま、そう言わんと、今はスマホ使わんと馬鹿にされちまう・・・」
「あきまへんか?ほな何も言わへん。へそ曲がりやなぁ、ケンさんは・・・」
 ケンさんは根っからのアナログ人間で、携帯端末すらも遠ざけようといつも苦心しているようだが、二四七番としては馴れてもらわなくては困るのだ。
 次の日は汐留のテレビ局だった。ケンさんはアナウンサー室のある○○階の部屋に配達と集荷の指示があった。どうやら打ち上げの社内パーティーのようだったが、美形の有名アナウンサーが近寄ってきて、
「ここにサインすればいいのね?」
 と、そのとき彼女はケンさんに抱きついてきた。転倒した彼はミニスカートの彼女の股間に頭が挟まって身動きが取れない。必死に抜け出そうと頭を回しながらようやく解放されたが。ケンさんの顔の周りには心地よい香水の匂いが漂って、失神してしまった。女性アナウンサーは後日、局まで謝罪をしにケンさんを訪れた。
 開口一番言われたことは、
「見ちゃいました?」
「他言は無用でお願いしますね・・」
「ほんとですよ・・・」
 ケンさんは苦笑してうなずくだけだったが、気があるのはアナウンサーのほうだった。彼女は股間に挟まったケンさんの頭を回されたとき、強い陶酔を感じたらしく、それから夜も眠れないほど精神的に不安定になっていた。ほどなくして彼女は半年後、夜の銀座でデビューしたが、世の中何が縁でどうなるか分からないものだ。彼女はユキちゃんのクラブSのチーママとなっていた。こういうケースはクレームではないので、始末書は書かなくてもよい。
 翌日は日本で最大手の広告会社の集荷だった。ケンさんはその会社の知人が多かったので出入りはしたくはなかったので、メガネを掛けマスクもして正体がばれないようにした。
 集荷先では昔コンペのライバル達が多かったので、転職したのは知られたくなかったが、運悪く受付嬢にバレてしまった。
「あの、ケンさん?」
 元準ミスユニバース日本代表のサヤカちゃんだった。
「いまね、ハケンで働いているの。郵便屋さんになったの。カッコーイイー」
「あのとき、何故逃げていったの?ずっと探してたのよ・・・」
「もういいのよ。無理に家庭を築こうとした私も悪かった・・・」
「今はね、幸せよ・・・」
 ケンさんは長々と一時間も会話を続けていた。ナンバさんが怒るのはごもっともだ。このおかげで集荷作業は散漫になり集荷漏れが起きてしまった。ナンバさんが責任担当とされ、これでケンさんは入社以来二百通目の始末書を書いたことになる。渡る世間は実に狭すぎる。
 時の流れるのは早いもので、2021年の秋になった。忘れもしない。その二年も前の話だ。
 ケンさんは九死に一生を得るほどの交通事故に逢ってしまっていた。携帯端末の私も壊れ使用不能になってしまう。一時停止中に十六トン車のトラックにはねられ、ケンさんの車はスピンをして車の前部分が大破した。あと十センチ車が出ていたら全壊していた。命も危うかった。ケンさんとはその日でお別れという可能性もあった。
 ケンさんは軽い打撲と頸椎捻挫で全治三ヶ月となった。ケンさんにぶつかってきた車が9でケンさんの車は1という自賠責保険の評価だったが、それは余りにも理不尽だったので、ケンさんは保険会社と話し合い、五対五にまでにしたが、車の自賠責保険ではあくまで社員の責任というシステムは治りそうにもない。
 任意の対物対人保険は一般的には無制限だが、郵便局の車はその対象外ということになる。自賠責保険のみで業務に励めと言ってもどだい無理な話だ。おまけに車のバッテリーは全く交換されない。
 軽トラック・普通トラック・大型トラック・バイクなど数十万台を一気に交換すると経費はどのくらいになるかは分からないが、天文学的な数字にはなるだろう。我ら携帯端末のバッテリーも寿命は短くなっている。
 いつお蔵入りにされるか戦々恐々だ。この事故のせいでケンさんは銀座全域での台車による集荷隊に加わった。ケンさんが郵便局を辞める動機はうかがい知る事は出来ない。
 退職する何年か前ケンさんはある女性社員に慕情を感じるようになっていた。事故の原因にもなったとのもっぱらの噂だ。
 三十年も年の差があるので、父と娘の感があるが、エリカさんを見初めてしまった。俗に言う一目惚れだ。初恋の人と瓜二つの下町育ちの姉御肌で絶世の美女だった。ケンさんの謎の退社は多くの憶測を生んだ。
 だが、とにかく彼はレジェンドになった。
 ようやく、私はケンさんの始末書の顛末から解放された。それでいて寂寞を感じてしまうのはどういうことなのだろう。またいつか破天荒な彼とは再会できるだろうか。。。

(了)