<道満丸景虎と小姓の戯言0244>episode244,season3
(天正戦国小姓の令和見聞録)
○___________________○
お屋形様:上杉道満丸景虎
見聞録及び戯言検め:小姓 仁科源太
○___________________○
◆天正四百五十二年 八月十二日
「2024巴里五輪見聞録」(改訂版)
2024年の巴里五輪が不祥事の連鎖にも関わらず終了したようじゃが、天正戦国の世ではまさに伴天連たちの大航海植民地時代の真っ盛りで平和の祭典などは夢のまた夢でござった。令和の時代でもその痕跡が数多く残っておるようでござる。巴里五輪はIOC主催のフランス帝国での興行でござるが、今でもタヒチ島(フレンチ・ポリネシアン)は事実上の植民地下にある。サーフィンの競技がそこで行われたが、トライアスロンもドブ川に等しい劣化したセーヌ川でやることはなかったのでござる。生活排水などの汚物がしっかりと排除されないままの水質がアスリートの体調不良や棄権の連鎖を生んでおる。フランス帝国は未だに南太平洋諸島などに多くの植民地がござれば、何も無理して国内だけでやることはなかったのじゃ。大英帝国も王族が直接統治している植民地は多い。バミューダ諸島などは独立国と思っておったが伴天連どもに支配されておる始末でござる。ケイマン諸島などはタックスヘイブンの聖地として盤石の砦を囲っておる。四百年以上も未来にまだこのような政があるとはお屋形様も嘆いておられた。人間はちっとも進化などしておらぬ。
日の本のメディアでは「海外開催の五輪では最多のメダル四十五個!」とかの触れ込みで意気込んでおる。正確に申せば「日本開催の五輪に次ぐメダル総数四十五個!」よりは聞こえが良いかもしれぬが。アスリートの諸氏には健闘を称えたいとお屋形様は仰せでござる。しかしでござる、拙者には腑に落ちないところが多々目についておる。軒猿たちも首をかしげる始末じゃ。2021年の東京五輪では金二十七個・銀十四個・銅十七個の計五十八個というホームアドバンテージでの結果で、コロナ禍で海外選手に相当不利な状況でござったので競技参加には不公平感が広がっていたのでござる。対して巴里では金二十個・銀十二個・銅十三個で二、三割減の総計は四十五個でござった。日の本では史上二番目の成績と言う触れ込みよりは、「アウェイでの獲得メダル総数が最多!」としたほうが聞こえは良いはずなのはわかる。ご飯は食べないがお茶漬けは食べるという、ご飯論法でのキャッチフレーズでクライアントに媚を売ったのでござろう。広告代理店マンの質が落ちている日の本では致し方ござらぬが、そういう些細なことはどうでも良いことでござる。巴里五輪での結果は東京より大幅減というデータは未来永劫残ることに変わりはござらぬ。
さて、男子マラソンの金メダリストは発走直前での補欠での出場でござった。IOCの規定では前日での緊急時での選手の入れ替えは可能という。ところが、女子マラソンの選手が7月31日に足の違和感を覚えたのに、様子見を繰り返してMRI検査をしたのが1週間後で、結局欠場するはめになっておった。JOCは独自の規定により8月2日に勝手に補欠解除をしておる。陸上ファンの領民からは補欠解除に対する抗議の輪が広がっておるようじゃ。陸連ではJOCの下に位置するが、補欠解除の時期と補欠者に対する礼儀を忘れておった。男子マラソンの補欠候補だった公務員ランナー出身の選手が、陸連擁護の発言で物議を醸したが、直前での交代の多様性に対する前向きな議論をスルーして保身のために陸上ファンからの抗議を批判したのはけしからぬ限りでござる。SNSには拙者は一切関わっておらぬ。軒猿からの密告によれば、公務員ランナー出身の補欠だった選手が、JOC・陸連幹部が申すべきところ肩代わりして(擁護するかのような)言ったことに、反発した某投稿者の「何様~」の意見に反論して自慢気に言ったのが災いの種になったのじゃ。何様のつもりで言っているのかの言葉の裏には、JOC・陸連側の補欠選手に対応する姿勢が甘すぎたという側面があったことを忘れてはならぬ。現役の選手は現場での精進を絶やさぬことを主軸にしなければならぬ。彼は余計なことを言い過ぎる。アスリートの視点で言えばよかったのじゃ。
管理・監督的なことは陸連の幹部になってから申せばよい。日頃からぬけぬけと発言をする性癖が補欠論議を更に混乱させておる。JOC・陸連の失態には変わりはござらぬ。補欠候補はモノ扱いしてもらっては困る。出走直前までは選手には何が起きるかわからぬからじゃ。いつ何時思わぬ事故や感染・食中毒等への心得など万全を期しても、事が起きるときは起こるものなのじゃ。早い話がIOCの規定どおり前日直前まで、補欠者も参加予定の選手も一心同体で臨まなければいけないということでござる。親方日の丸の役人体質は正さねばならぬ。男子マラソンの金メダリストが直前の補欠繰り上がりだったということを見てもわかるはずで、日の本のアスリートのメンタリティや心身は強靭なアフリカ勢の足元にも及ばないことを肝に命じるべきでござる。多少の怪我ごときで代表の座を明け渡す気がなく、発走前日ギリギリまで発表しなかったというアスリート・監督者・所属会社の権利保持のエゴはなかったと信じたいが、陸上ファンからの嫌疑は残るであろう。
アスリートたちのストレスや心身の維持への対処で競技への取り組みを優先したので、補欠解除はJOCの規定に従い苦渋の決断をしたとされるがその言い訳は通用せぬ。果たしてその事が今後ファンたちの賛同を得るかどうかはわからぬが、日の本が勝手にアスリートの権利(補欠でも)早すぎる剥奪(解除)は腑に落ちないのは誰からみてもわかることじゃて。残る二人の選手のうちの一人が6位という成績でござったが、細田あい殿を補欠繰り上がりで出場させておれば、以外にも好成績を収めていたかもしれぬ。陸上界はメダル一個という散々な結果に終わっておる。アフリカ勢(おそらくDNAの有利性)の陸の王者をまざまざと見せつけられてござれば、日の本のアスリートには走力と体のバネ・精神力・スタミナ・勝負どころの勘などでは大きな壁が立ちはだかっておる。ネザーランドのハッサン殿は5000m、10000m、マラソンで3つのメダルを獲得し、10000m決勝から34時間後にマラソンに出場。銀メダルを手にした選手からゴール直前に走路妨害(悪質な)を受けたにもかかわらず金メダルを獲得したのでござる。二着の選手には銀メダル剥奪があってもおかしくはない。全世界はまこと醜いものを見てしまった。日の本の選手が入賞ごときで狂気乱舞してどうするのじゃ。陸上競技では勝てる競技で勝負するしか道はござらぬ。
水泳でもメダルが一個という不振が目立っておった。東京で個人メドレーの二冠の選手の連覇は無理でござった。ホームアドバンテージの有利性で棚からぼた餅と言われてもいたしかたあるまい。柔道も思うようにメダル獲得ができなかった。しっかりと格闘技のようになってしまったようじゃのう。ルール変更と審判の誤審もあったと聞いておる。柔道は畳の上でやるのが本来の姿であるはずじゃ。日の本は連盟脱退で本来の柔道の姿に戻すため新たな組織を作るべきでござろう。体操もメダルはとったがイメージ通りの結果になっておらぬ。男子総合団体では敵失による金メダルということで運がよかったというしかござらぬ。敵失で勝利の運を閉ざされた中国チームは次開催では同じ轍は踏むまい。心してかからねばならぬ。バレーボールの男女も踏ん張っておったが、五輪前にエネルギーを使い果たした感がござる。ロスでの五輪では同じような活躍が期待できるか未知数でござる。サッカーもバスケットもチグハグな試合展開で面白くなかった。ゴルフやブレイキングは五輪にふさわしい競技かどうもわからぬ。野球はロス大会では開催国の特権で行うらしいが、MLBの選手がシャリシャリ出てきてどうするつもりなのじゃ。五輪はアマチュアリズムが基本のはずじゃ。
職業スポーツ現役選手の聖地ではござらぬ。商業イベントに化した五輪は以前のロス大会から始まっておる。興行利権の温床を生むスポーツマーケティングとやらで五輪でのプロとアマチュアの境が全くなくなってしまった。参加することに意義がある精神から、メダルと賞金を取ることに意義があるに変節してしまった。近代五輪はこの先どうなるのやら。IOCバッハ会長は2025年で退任する。2028年は最後のオリンピックになるやもしれぬ。もう限界でござろう。紀元前8世紀から紀元4世紀まで1200年ほど続いた古代オリンピアがまこと懐かしい。
○___________________○