道満丸と重家(鳴海院~謙信の詔)其の一 初陣03
「鳴海、待ちわびたぞ。永いこと会ってはおらぬかったな。息災であったか?」
「兄上、もったいのうござりまする。こちらへの道中で聞き及びましたが。九月の能登七尾城の攻略、先だっての手取川での勝利おめでとうござりまする。信長殿の軍も退散なさったとか。さぞお疲れに成されたでしょう。その後、ご自愛の程は」
「なに、それほどのことでも無い。少々疲れただけじゃわい。おぅ、そこにおるのは秀綱か。川中島ではご苦労であったな。源太もおったか。そなたもなかなかの働きであった。ワシは忘れてはおらぬぞ。感状は送らなかったが、身内同然ゆえ敢えてしかと手元に置いておいた。長引いてはしまったがそなたに直に渡そうと思うてな」
「御屋形様、そのお言葉痛み入りまする。ずいぶんと昔のことでござりまする故。お言葉だけで嬉しゅうござりまする」
「源太、そうかしこまるな。お前らしくないぞ。まぁ、一杯つきあえ。阿賀北衆では一番強いのじゃろ」
「酒のほうだけではござりまするが」
「毘沙門天の化身も落ちぶれたものよのう。先の二度の戦いで体の節々が痛おうてたまらん。源太もそう思わぬか」
「わたくしめは毘沙門天様の化身の警護の分身でありまするゆえ」
「ハハハハ、おぬしも良く言うわい。面白いのう」
「兄上、今日は大事な言づてでもあるとおみ受けいたしましたが」
「おぅ、そうじゃ、そうじゃ、源太も秀綱も良く聞いておけ。鳴海にはこれからご足労かけるかもしれぬが」
「兄上、何なりとお申しつけくださりませ。決して口外は致しませぬ。源太様も秀綱もしかとよろしゅうござるな」
「は・・・」
「ここに書を認めたものがあるが鳴海院にお預けいたす。そこで、そなたらに一つ頼みがある。ワシが不測の事態の折は、越後の所領の諸将にこの書を布告してほしいのじゃ」
「そういう大事なことは、景虎様や景勝様にお願いなさればいいものを」
「しかしそう簡単にはいかぬのじゃ。中身は書状にはしかと認めておる。これが今噂になれば内紛は必定だ。だからこそ鳴海院に託したいのじゃ。しばらく内密にしてほしい」
「しかし兄上にそのように申されましても」
「越後と日の本の乱世を終わらせるためぞ」
「そうまで申されるのなら、謹んでお受けいたしまするが」
「すまぬな。もうひとつ、頼みたいことがある」
「何でござりましょう」
「鳴海、道満丸を加地城に連れていってはくれぬか。修行させたいのじゃ。他の諸将にも道満丸と気づかれぬよう名を変え顔に泥を塗り小姓として扱って欲しい。名は
そうじゃな・・・丸山輝吉とせよ。思いつきで許せよ、道満丸」
「滅相もござりませぬ」
「なに、元服までの間じゃ。鳴海金山は青苧とならぶ貴重な宝だ。越後軍にとっては無くてはならぬもの。それを取り仕切る阿賀北衆の諸将は無碍にはできぬ。道満丸には諸将をまとめ上げてほしいのじゃ。ワシに何かあったら、道満丸を旗頭にして天下布義を進めてくれ」
「野斜丸様はどうなさるおつもりでござりまするのか」
「なに心配はいらぬて。道満丸とは双子故、傍からでは見分けはつかぬはずじゃ。この先、同じ道を歩むのは難しいじゃろう。道満丸が元服するまで、憲政の館におくが、その後寺に預けよう思うとる」
「よう分かりましたが、わたくしめにはまだどうも合点が行きませぬ。兄上にはまだまだこれからではござりませぬか」
「ワシのこれからはワシが一番良う知っておる」
「そこまで申されるのなら」
「最後にもうひとつ」
「まだ何か。なんでござりましょう」
「源太に小姓の勘五郎を預けたい」
「源太殿、こちらへ」
「そなたは今、五十公野城主のようだが」
「ハ、世継ぎがおりませぬ故、養子になっておりまする」
「新発田城には兄の長敦がおるでな。しかたあるまい。源太、承知してもらえぬか」
「仰せのままに・・・。お預かりいたしまする」
「それと以前、川中島でおぬしらと共に戦ってくれた色部、安田、中条、垂水らには感状を送ったものだが。たしか源二郎はそなたと同じ阿賀北衆だったな」
「垂水殿のことは川中島以来お噂は聞いておりませぬが」
「あいつはワシの代わりに信玄殿の本陣に突っ込んで、しかも直接太刀で傷を負わせたようだが。甲州ではその話で尽きぬそうじゃ。安堵せよ、源二郎は堺で元気に暮らしておる」
「堺でござりまするか」
「ワシに良く似ておるでな。あいつも越後にいては何かと不都合じゃ。蔵田殿に頼んで堺の商人に分して諸侯を調べさせておるのよ」
「さようでござりましたか」
「信玄殿が亡くなってはや五年となるな。室町幕府もすでにない。義輝殿との約束も果たせなんだ。ワシも輝虎と名を替えたが、寂しいものよのう。最後の川中島ではお互いに睨み合いで終わった。信玄殿とは十二年ほど睨み合って戦ったがワシにとっては良き相手ではあった。今では勝頼殿とは縁を結んでも良いと思っている。どうじゃ、上杉家と武田家が親戚になるのじゃ。濃越同盟では信長殿から永徳と言う絵師が描いた洛中洛外図の屏風が届いておった。此度は安土山の図屏風も出来たら贈ると言うておる。それも正式な屏風のようじゃ。幾年後かに安土城が完成したら本物をワシに贈るそうじゃ。もう一つの偽物はフロイスらに見せびらかすよう描かせるようじゃが、信長殿は日の本の王という布告を伴天連に知らしめるための屏風にするようじゃ。それはワシへの当てつけとも思えなくもないが。それに春日山城に人質を出すという書状も来ておる。手取川の事もある。どれにしても矢継ぎ早に策をこうずるとは・・・信長殿にはどうも魂胆がありそうじゃ。そこまでするのなら、この際縁を結んでも悪くはあるまいと思うのだが」
「兄上、たわけたことを申されるな。あれもこれもと欲を出してはいけませぬ。代が変わっても未だに武田殿とは決着がついておらぬのですよ。信長殿とて益々勢力を増しておられます。調略に惑わされてはいけませぬ。兄上を牽制しているのでござりましょう。言わずと知れたこと。妥協は一切してはなりませぬ。あの方に幕府は潰されたのですよ」
「やはりそう思うか。鳴海、そう心配いたすな。濃越同盟は反故に致す故。北条と武田と上杉で盤石な体制を敷いて上洛する手はずも整えておる。信長殿の魂胆は承知しておる。調略の裏を見据えておれば良いのじゃ。源太、兄の長敦とともに武田家とは上手くやってくれ。そなたならやれる・・・。道満丸のことも鳴海院ともども頼んだぞ」
「ハハ・・・」
こうして輝虎様の巻物の書状となった拙者は鳴海院様に託された。
輝虎様の話は鳴海院様には戦国の乱れが如何に大変か知らしめるものだった。
「幼少の頃はそなたとよく遊んだものよのう」
「まだ林泉寺に入られるころでしたね。五年ほどおられましたでしょうか」
「父が亡くなり兄晴景は国主としては荷が重かったんじゃろう。ワシはまだ寺でゆっくろと修行するはずだった」
「そうでござりましたなぁ。思いだしまする。六歳の頃寺に入られて五年ほどで呼び戻されました。こう申しては昔を蒸し返すので控えとうござりまするが」
「構わぬ。ここにおるのは皆身内じゃ。気にはせぬ」
「思い返せばあのときのお美しいお姫様には気の毒でござりました。凜とした立派なお方でした。未だにわたくしの目に焼き付いておりまする」
「ワシの御前にするはずじゃったが。美しかったのう」
「兄上が奥方様を召さない理由はわたくしだけが・・・。想い人の記憶は決して消えるものでもありますまい。毘沙門天の化身の正体も形無しでござりまする」
「あれ以来何事にも関せず仏門で生涯を終える腹ではあったが」
「それも世の常。仕方ござりませぬ。越後は、はたまた日本は兄上の力と義がなければ成り立ちませぬ。一国を治める為には毘沙門天様の人智を超えたご加護がなければいけませぬのじゃ。夫春綱は我が子秀綱を遺して旅出した故、神様のご加護にどうしてもすがるしか無く今日まで過ごして参りましたが、兄上にはまだまだずっと息災でいてもらわなければなりませぬぞ」
「信長殿が天下布武を唱えたそうだな。武力だけでは諸将は纏められるものではない。論功行賞は公平であらねばならぬ。媚びへつらう諸将は必ず非業の死を遂げる運命にある。ワシは運良く源太らのおかげでここまでこれたのじゃ。先のことは分からぬが、越後では青苧と大量の金銀のおかげで軍備が潤っておる。しかし一番大事なのは、人の心根と義への畏敬心なのじゃ。天下布義で太平の世を作る。不正義には毒をもって毒を制することも必要だが、信長殿の天下布武では乱世は一向におさまらぬ・・・。分かるな源太。これがワシの遺言じゃ」
「御屋形様、何を言われまする。滅相にござりませぬぞ。拙者のような阿賀北の小兵にはもったいのうござりまする」
「源太、心配するな。ワシは毘沙門天の化身じゃ。このように元気でおるではないか・・・」
「ハハー・・・」