道満丸と重家(鳴海院~謙信の詔)其の二 御屋形様の真意02
三の丸でようやく宴が始まった。
鳴海院様、源太殿、秀綱殿、景虎様、秀嗣殿の小姓の仲川・麻倉が輝虎様を囲んでの団らんだった。
輝虎様は青苧座の頭である御用商人蔵田五郎殿も呼ばれていた。
鳴海院様は他に輝虎様の想い人であった凜姫の縁者も密かに呼び寄せていた。
「待たせたな。そうじゃ、宴の前に皆にも会わせておきたい者がおる。五郎殿、これへ」
「越後青苧座の蔵田でござります。以後、御見知りお気を」
「おぅ、そなたが蔵田殿か。お噂はかねがね聞き及んでおりまするぞ。御屋形様の戦が上手く行っているのは御仁の御陰とな。阿賀北の鳴海金山と蔵田殿の青苧を合わせれば日の本を優に治められましょうぞ」
「源太、相変わらず豪快じゃなぁ。勘五郎、兼続にこう申せ。景勝も時には酒もたしなむことが必要じゃとな。呑めなかったら呑んだふりをすればいいのじゃ」
「御屋形様、景虎が思うに」
「どうした」
「景勝様は酒を召されないので、ただ遠慮されているのでは。それに」
「それに何じゃ?どういうことじゃ。はっきり申せ」
「わたくしが後年こちらの養子にさせていただいた上に、姫さまと四人もの子を授かり、初陣も先にさせていただいて。景勝殿には申し訳ないと」
「ハハハ、つまり、それは勝手にひがんでおると言うことじゃ・・・。あれでは棟梁にはなれぬな・・・もう良いわ。酒の肴がまずくなる。源太、どんどん呑むのじゃ。
朝まで付き合うぞ」
「恐れ入りまする」
「御屋形様、思い出しまするなぁ、初めての越山の折、わたくし目はまだ十四歳の頃でござりました。小田原攻めで初めて戦をしたときのことでござる。北条の話は景虎殿には聞こえは悪いがの」
「源太殿、昔のことでござる。一向に構いませぬぞ」
「よう言われた。感服つかまつった。この戦国の世で随一の美青年に乾杯じゃ」
「源太、酔うているな」
「御屋形様が義輝様から関東管領を賜った年のことでござるが、小田原攻めで思わぬ退却をされた時がござりましたな。そのとき拙者は戦いでの陣の配置が悪く、それでは負けも同然と激しく喧嘩をいたしました。御屋形様は察知してわたくしめをしんがりの役を仰せつかりましたが、無事春日山城にお戻りになられて良うござりました」
「そうじゃな。お前がいなんだら、ワシは灰と化したはずじゃ。目が覚めたぞ。あらためて礼を申すぞ」
「拙者は阿賀北の名も無き城主。恐悦至極にござりまする。うぃ・・・」
「四度目の川中島の折りでも、秀綱と功を挙げたようだな。頼もしい限りじゃ。秀綱も呑め呑め」
「兄上、源太殿の話が面白うございまするなぁ」
「ワシが見込んだ男だ。景勝と変わってほしいものよのぅ」
「源太殿はかなり酔うてござりまする」
「あいつには多くの借りがあるのじゃ。好きにさせてやってくれぬか・・・。そのうち春日山城の主になるでおろうからなぁ。ハハハハ」
「豪快な源太殿がおられれば越後も安泰でござりまするな。当方の苧と金山、銀山が手を取り合えば乱世に終わりを告げるのも夢ではありますまい」
「五郎殿もそう思うておるか。亡き義輝様もそう申しておったな」
「景虎や、一つ聞いておきたいことがある」
「なんでござりましょう」
「越後の国をどうしようと想うとる?」
「そのようなことは・・・わたくしめには荷が重とうござりまする。いつも思うているのは、それは御屋形様への忠誠と義の結束でござりまする」
「相変わらずそなたは優等生じゃの。表向きはどうでもよい。ワシはそのうちいなくなる。そなたの心根が知りたいのじゃ。越後はこのままで良いと思うておるのか聞いておる」
「わたくしめは養子の身でござりまするゆえ、政に関しましては景勝様とは軋轢や誤解があってはならぬと常々思うてござりまする。何より、一献交えながら差しで話し合えばわかり合えるかと。それが叶いますれば越後は安泰かと」
「そなたは相も変わらず殊勝じゃのう。ワシが見込んでいた甲斐があると言うものじゃ。よく言った景虎。道満丸のこともある故にな」
「ワシが死んだらある書状を鳴海に見せてもらうが良い。おぬしを信じておるでな。だが、今しばらくは見せられないが」
「仰せのままに」
「兄上、わたくしめには一つ気になることがござりまする」
「なんじゃ」
「信長殿と家康殿のことでござる。彼らは天下布武をされるのでしょうか」
「配下に羽柴という者がいると聞いたが、おおぼらでなかなかの曲者と聞く」
「何やらこの先大きなうねりがあるのを夢にみるのでござりまする」
「どういう夢じゃ」
「この越後が争乱となる夢にござります。御屋形様の世継ぎの方は上洛せず、どなたかにひれ伏す姿を。わたくしめには見とうございませぬ。いやな予感が押し寄せるのでござりまする」
「そなたは肝が据わっておるのだが、幼少の頃から先回りするところがあったな。ほれ、ワシはまだこのように元気では無いか。越後はこの先も安泰じゃ」
「わたくしめもそのように想いたいのでござりまするが」
「それじゃから、はやく手を打っておくのじゃ。鳴海に託したのには訳があるのじゃ」
「よく分かり申した・さて、兄上、ご無礼かと存じましたが、かの方をお呼びしてござりまする」
「はて、誰じゃ」
「お会いすればお分かりになりましょう」
「お久しゅうござりまする」
「はてどなたでござろうか」
「溝口秀勝でござりまする」
「そなたはたしか、丹羽殿、いや信長殿の」
「そうでござりまする」
「凜姫は息災でござったか」
「はぁ、母上の妹でござりましたが、十代の頃に縁談が取りやめになりまして。それ故わたくしの方で引き取ってござりました。昨秋労咳を患い亡くなりましてござりまする」
「なに、身罷われたのか・・・ワシとは二つ違いであったの」
「これがその形見でござりまする」
「ワシにか。どうしてじゃ」
「亡くなる前に叔母上がどうしてもと。生涯独り身を通されました」
「残念無念じゃ」
「やはり、輝虎様の想い人でござりましたか」
「はっきり申す。溝口殿の言う通りじゃ」
「そうでござりましたか。痛みいりまする。それをお聞きし安堵いたしましてござりまする。かの姫の御霊もうかばれましょう」
「鳴海、縁者とは溝口殿のことだったのか」
「申し訳ござりませぬ。溝口殿のご生母さまとはよしみを通じており増した故」
「おぅ、そうであったな。凜姫殿にはいささか詳しいので、不思議に思うておったのよ」
「源太・・・。溝口秀勝殿じゃ。そなたにご執心のようじゃ」
「溝口でござる。お初にお目にかかりまする。川中島でのご武勇、信長様も大層お気にめしております故、尾張にもたまには旅にと仰せつかわっておりまし」
「拙者めに士官をせよと」
「滅相もござらぬ。殿はただ」
「信長殿にお伝え下され。拙者は越後からは出るつもりはござらぬ。二人の方には仕えぬ事はお分かりであろう。二心は片隅にもござりませぬ」
「しかしでござる」
「しかしもお菓子もござらぬて・・。それよりも、尾張の酒でも戴こうかの」
「それは」
「秀勝殿、もう良いでは無いか。こやつは、一度言い出したらてこでも動かぬでな」
「申し訳ござらぬ」
「惜しゅうござるな。信長殿も」
「申し訳ござらぬ」
「秀勝殿、話はそれくらいに」
「輝虎様、お見苦しいところを」
「溝口殿、これも何かの縁じゃ。今夜は飲み明かしましょうぞ」
「鳴海院様、有り難き幸せ」
「源太殿も気持ちだけは有り難く受け取るのだぞ・・・。こののち、景虎共々溝口殿とご縁が続けば頼もしきことじゃ」
「ハハー」
宴は深夜まで続いた。
源太殿や景虎様と秀勝殿は兄弟のように宴席でよしみを通じていた。
数日後、鳴海院様一行は道満丸様を伴い下越の阿賀北衆の途についた。
輝虎様の書状は年明けの雪解けをもって、小姓の勘五郎が加地城の鳴海院様に届ける手はずになっていた。