道満丸と重家(鳴海院~謙信の詔)其の三 風雲急春日山城05
「源太殿か」
「源二郎殿であらせられるか」
「・・・」
「これはこれは、垂水殿。お懐かしゅう・・・川中島以来でござる」
「源太もすっかり偉くなりよったものよのぅ。息災であったか」
「ハ・・・」
「そこにおられるお方は?」
「道満丸様でござる・・・」
「はてさて、春日山城に赴いたおり亡くなられたのでは?そういう風に聞き及んでおりましたが」
「話せば長くなるが、亡くなられたのは弟の野斜丸様でござったのじゃ」
「・・・今でも信じられませぬ・・・。それにしても逞しくお成りになられて・・・」
「何を涙しておる。越後は今混乱の時でござれば」
「そうでござったな。越後を救うのは源太殿と鳴海院様、そして道満丸様じゃ」
「源二郎殿、そなたもじゃ」
「鳴海院様・・・」
「ところで源二郎殿は今どのように」
「今は亡き尾屋形の命で堺の青苧座衆を束ねておる。御所と諸侯の内偵も兼ねてな。青苧と晴海金山は亡き御屋形様にとって天下布義への貴重なものであった。三度目の上洛の折には多大な軍資金がいる。それを賄うには余りあるものだが、諸侯の実情把握はもっと大事なこと故、御屋形様はワシを川中島の戦の後、堺に遣わされたのだ。それに、ワシは輝虎様の影武者と言われていた故、越後にはいられなんだ」
「そうでござりましたか」
「ところで、勘五郎殿は息災でござるか・・・。蔵田殿から火急の文が届きましてな。御屋形様が身罷れたと。取り急ぎ堺から蔵田殿の舘に赴いた。そこでは勘五郎殿が形相を変えて巻物を体に縛り付けて守っておった。鳴海院様にお届けせねばと申してな。拙者は同行して、阿賀北の関所を通るまで案内致した。鳴海院様へ御屋形様の大事な書状をお届けできるか心配致したが・・・」
「存じておりまする。鳴海院様から聞いておりまする」
「無事届けられたということじゃな」
「大手柄でござった。今は拙者の妹と夫婦になっておりまする」
「して、いまどこぞに住まわれておるのか」
「五十公野城の近くでござる」
「どなたかに仕えておるのか」
「誰にも仕えてはござらぬ」
「はてさて、意味がわからぬが・・・」
「いまは五十公野信宗と名を代え、五十公野城主でござる」
「大したご出世でござるなぁ」
「ハハハ、心根は少しも変わってはおりませぬぞ。義に厚き義理の弟でござる」
「拙者はこれからも乱世を終わらせるという、亡き義輝様と御屋形様の意思をお継ぎになる方の手助けをしたいと思うておる。諸国の事情を把握するのは大事なことじゃてな」
「源二郎殿は川中島では御屋形様の代わりに、本陣の信玄殿に太刀を振る舞うとは。まさに武将の鏡にござりまする」
「なに、勢いで行ったまでよ・・・。源太も良い働きだったではないか。秀綱殿もだ。阿賀北衆は皆果敢でおったな」
「この日の本の乱世はいつ終わるのか気になりまするが・・・御屋形様がお亡くなりになり、この先どうなるものやらわかりませぬ。諸将の動向を知ってこそ良き政が成就されると信じまする」
「そうじゃな。今となっては成るようにしかならぬと言うことか。道満丸も大変じゃが覚悟を持って肝を据えねばならぬな」
「しかと受けた賜ってござりまする。源二郎殿、亡き御屋形様のご意思に沿う覚悟じゃ。今後とも太平の為お力を賜りたい」
「道満丸様におかれましては、まだ元服前の御身なれど、敬服いたしておりまする。源二郎しかと承知いたして御座りまする」
「そうか、よろしく頼むぞ」
「ところで、源二郎殿、京の動きはどうじゃ」
「幕府が無くなり、信長殿が上洛し、京都はいささか諸将の人質のような有様ですな。天下布武を唱えて諸将を配下におく所存のようでござるが、臣下の謀反の噂もございます。いつになるか存知ませぬが、そう遠くない頃に事が起こるというのは、堺では内密に知れわたっている様子。家康殿は信長殿と同盟を結んでいると言われますが、実質的には信長殿の子飼いに等しい立場ですな。三河には刻も早く戻りたいのでしょう。氏規殿も申しておりました。徳川殿と氏規殿は今川での人質という苦境を過ごしましたから絆も深いのでしょう。服部正成殿から聞き及びました」
「秀吉殿と勝家殿との不仲は確かなのか」
「家臣の間でも騒がしいそうでござりまする」
「明智殿の玉姫君は息災か」
「と言いますると」
「なに、亡き兄上の想い人と良く似ておいででしてな。ふと思いだしたまでじゃ」
「その姫は確か凜姫様・・・・。あのお美しさは日の本一でござりましたな」
「今更思い返しても仕方が無い。兄上を慕いながら身罷られたのじゃ。もう良い」
「ハハー」
「ところで源二郎殿、兄上が亡くなられたのは我らが春日山城から戻って余り日が経っておらなかったではないか。蔵田殿のその後のことは知っておろうか。勘五郎には聞いてはおるがいささか心細うてな」
「鳴海院様、わたくしめは亡き御屋形様の命で堺に身を寄せ、諸国の内偵を仰せつかっておりました故、積もる話もございまする」
「奥で茶でもゆるりとお飲みなされるか」
「かたじけのうござりまする」
源二郎殿は鳴海院様に一部始終を語り始めた。
「源二郎殿は兄とは良く似ておったな。道満丸と野斜丸は双子じゃったが、同じくらいの風貌ではあったな。川中島の戦いでは武田領でも噂は絶えぬでな」
「滅相もござりませぬ」
「まぁよい。兄上の事じゃが」
「以前から中風を患っておられまして、医者からも諫言されたとの事ですが、無視されて日々の食生活は止まることが無かったそうです。連戦の疲れから抑制が出来なかったのでしょう」
「あのときは相当具合が良くなかったと言うことか」
「蔵田殿も申しておりました。正直、気をつけないと危ういと」
「そうじゃったのか。兄上が書状をわたくしに預けたのも分かるような気がするが。ここまでお家騒動が大きくなるとはおもわなんだな」
「景勝殿が突如本丸を奇襲されましてな。金蔵と武器庫を手中に収めてしまいました。日を待たずに、勝手に家督を継いだという布告を全国にだされましてな。拙者も驚いておりまする。景虎殿をいち早く支持した柿崎殿は景勝殿を支持する者に殺害される有様。景勝様は三の丸への攻撃に踏み切り、景虎様は憲政殿の御館に居を構えました」
「居を移されたのか」
「そうでござりまする。亡き御屋形様とは違い、景勝様は諸将に対し高慢な態度で従うよう布告したのに対し、反発する諸将が後に絶たず、お家は景勝殿と景虎殿の二大勢力で一進一退の攻防が一年ほど続いたでしょうか。その間に、勝頼殿は景虎殿と当初密約を結んでおりましたが、景勝殿の調略で勝頼殿は手のひらを返し、景虎殿を窮地に立たせたと」
「どのような調略なのじゃ?」
「なに、たいした事ではありませぬ。おそらく春日山城の金銀をちらつかせ、どこかの所領を差しだしたのでございましょう」
「勝頼殿も度重なる戦いで戦費も底をついていたということか」
「そうでござりましょうな・・・勝頼殿は景勝殿に寝返っても、中立の立場に扮しておいででした。幾たびか和議の交渉まではいくものの双方の言い分には溶け合うものはござりませんでした」
「勝頼殿を説き伏せたのは誰じゃ?」
「新発田長敦という者でござりまする」
「源太殿の兄では無いか」
「兄の言いつけには背くわけには行かず、景勝殿の陣営で戦ったと聞いておりまする」
「致し方ござらぬ。源太殿の不徳とは言いがたい」
「景虎様の死去には源太殿も泣いておりましたなぁ」
「源太殿が景勝殿からの恩賞云々での反抗ではなかったことは分かっておる。味方を欺すのには身内からというではないか」
「景勝殿もこれで棟梁としての器がないと、諸国にしらしめたと同じでござりましょう」
「源二郎殿、話はよう賜りましたが、これからが大変じゃ。お家騒動はこの先長うかかりまするな」
「道満丸様が元服を迎えるまでの辛抱にござりまする」
「書状にもそう書いておったな」
垂水源二郎殿と鳴海院様は回想に時を忘れていた。