1587<道満丸景虎と小姓の戯言>(天正戦国小姓の令和見聞録)HB

人類の歴史を戦国の小姓の視点で深く追究していきます。

道満丸と重家(鳴海院~謙信の詔)其の一 初陣04

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道満丸と重家(鳴海院~謙信の詔)其の一 初陣04

 

源太殿はその後長敦病死の後、新発田城家督を継ぐ。名は新発田重家となり御館の乱の最後の決戦に挑むこととなる。五十公野城は勘五郎が入れ替わって城主になった。名を五十公野信宗とした。

鳴海院様にはこれが輝虎様と最後のひとときとなった。

「勘五郎、三の丸の景虎と華をこれへ呼べ」

「承知つかまつりました」

「鳴海、その書状の中身は片時も目を離すではないぞ。あとで、そなたの目で確かめてくれ。今は誰にも見せてはならぬ」

「分かり申した・・・兄上、ご案じ召されるな。仲川、麻倉これへ・・・。兄上、拙者の息子秀綱の小姓でござりまする。以後御見知りおきを」

「鳴海院と秀綱をよろしく頼むぞ」

「ハハー、命に代えましても」

「まぁ、気を楽にせよ」

「御屋形様、お呼びでござりまするか。華もここへ。これは柘榴姫と茉莉花姫にござりまする」

「野斜丸はどうした?道満丸はとうに来ておるぞ」

「憲政殿と城内を散策しておりまする」

「まぁ、良いわ。景勝は相も変わらず塞ぎ込んでいるようだな。いくら呼んでも来ようとはせぬ。何が気にいらぬのじゃ。こまったものだ」

景虎、此度はごくろうであった。ようやく能登を攻略したな。かなり攻めあぐねたが、そなたのおかげで三度目の上洛も叶えられそうじゃ」

「身に余るお言葉。痛み入りまする」

「氏康殿が亡くなって久しいが、懐かしいのう。あのとき、そなたはまだ幻庵殿の婿養子であった。ワシはそなたの愛しい妻と離縁させ養子に迎え入れた。華と婚儀させてしもうたが、そなたの妻がわざわざ越後まで同行してくれたとはな。ワシも華も本当に悪いと思うとる。気持ちではさぞ合点がいかぬと感じたであろうが、今はあのときは氏康殿とワシにとっては良かったと思うとる。後ほど酒席で語り尽くそうでは無いか」

「御屋形様、滅相にもござりませぬ。以前の妻と幻庵殿とも屈託なく話し合い決めたこと。悔いはござりませぬ。以後、わたくしにお役に立てられることがあれば何なりと」

「そう畏まるな。親子では無いか。道満丸のことについてはワシの勝手ではあった。許せ。上杉の未来にも関わる故今は申せぬが。それと、柘榴姫と茉莉花姫はそなたの兄の氏規の計らいで服部正成殿に預ける。氏規殿は家康殿と今川の人質であったな。家康殿とは睨み合いもあったが仲良くせねばなるまい」

「御屋形様のお考えがあってのことでござりましょう。華も納得至してござる」

「姫二人と道満丸は酒席にはそぐわぬ故、華と憲政殿の相手をさせてはくれぬか」

「あい分かり申した」

 御屋形様は鳴海院様一行をもてなす手はずを整えていた。