道満丸と重家(鳴海院~謙信の詔)其の四 本能寺の変、重家の叛乱01
其の四 本能寺の変、重家の叛乱
蘆名家と伊達家が御館の乱に乗じて水面下で景勝打倒への足がかりを得ようと重家殿に調略をすすめていた。
天正九年六月になり重家殿は一門の衆や阿賀北衆、景虎を支持していた諸将を味方にして強固な軍を築き上げていた。重家殿は信濃川と阿賀野川の合流地点を奪還し、新潟城を築城した。
景勝殿は重家殿の動きを押さえることが出来なくなった。この年は信長側の領地侵攻に対処せざるを得なくなり、春日山城に兵を引き上げた。
「勘五郎、いや信宗、どうだ、良い眺めじゃろう。道満丸様にも新潟の港を見せてやろう。越後の地は土壌や水路が堅固な上、金銀も日の本の半分を占めている。この地で未来の御屋形様を支えるのじゃ」
「勘五郎でようござる。わたくしめも源太殿とお呼びしても」
「ハハハ、呼び名など、どうでも良いわ。気持ちが交わっていればな」
「とんでもござらぬ」
「しかし、お前も亡き御屋形様の大事な書状をよくお守りしたものだな。鳴海院様も大層お気に入りのようだ。義にあついのは良き事じゃ。ワシなど金目の物に目がくらんで景勝殿に加担したと思われているが、亡き御屋形様の義と心をないがしろにするものは好かんのじゃ。あのご遺言を見るのがもっと早かったら景虎殿をお守り出来たものを。亡き兄上は景勝殿へは忠誠を誓っていたし、仲立ちをした安田顕元殿は命の恩人故ワシは悩んでおったのじゃ。悔やんでも悔やみきれぬ。大事なのは越後を守る偽りの御屋形様がそれにふさわしいかどうかなのじゃ」
「わたくしめは新発田様の娘婿で有りまするゆえ・・・。そのお気持ちはよく分かり申す」
「勘五郎、そうときたら、亡き景虎様の無念をはらすため、道満丸様のため、阿賀北で狼煙を上げるしかない。景勝殿と兼続を倒さねば越後の未来はないぞ。道満丸様が元服を迎えたら春日山城を奪還するのじゃ。景勝側の全ての諸将を味方にしてな・・・。亡き御屋形様のご意向に背くわけにはいかぬぞ」
「分かり申した」
「そうだ、源二郎殿から知らせはあったか」
「織田家に水面下で不穏な動きがあると文が届きました」
「なに、秀吉が」
「これは一大事でござるな。景勝殿が阿賀北衆に執心するのは分からぬでもないが、寄りによって光秀殿には早まるなと源二郎殿に使いを出せ。秀吉殿の計略が織田家を徘徊している。おそらく来年の夏が危ないぞ」
「信長殿のお命が」
「景勝殿は一体何をお考えなのかさっぱり分からん。秀吉殿に越後の国を売るつもりなのか。鳴海金山もか」
「そうかも知れませぬ。国主が変わりまするぞ。誰になるかはわかりませぬが」
「そうはいかぬ。鳴海院様と話し合わねばなるまい。勘五郎、修復した加地城の様子を見に行くという口実で鳴海院様に使いを出せ」
源太殿は確かに周りに流されて加地城を攻めた。鳴海院様は怒っていたようにも見えたが、実は織り込み済みのようだった。景虎派の諸将から見ればそのしこりは簡単に消えるものでは無かったが、騒動の裏表を知った源太殿には亡き輝虎様との約束は命より優先している。
源太殿は鳴海院様に加地城の広間に通された。
「源太殿。此度は良く踏ん張りましたなぁ」
「ありがとうござりまする。道満丸様にも新潟城にて眺望していただこうと存じまするが」
「それはそれは良き事じゃな。じゃが、気は緩めてはなりませぬぞ。この城でも内応するものがいる。何処ぞの国の間者かわからぬが」
「信長殿が危のうござりますると、源二郎殿の書状が届きました」
「臣下にも曲者が多いとの事じゃ。信長殿はそなたを支援してくれるそうじゃが。足下が揺らいではそれも叶わぬ。」
「鳴海院様、大丈夫でござりまする。信長殿の支援と阿賀北衆がまとまり、景勝殿の諸将もこちらに寝返るという良い知らせも受けておりまする」
「秀吉殿は明智殿と信長殿との離間の計を策しながら、天下を狙っていると源二郎がしかと記しておりまするゆえ、信長殿の暴走が天下布武の思わぬ落とし穴となるのは必定。源太殿も信長殿に少し期待しすぎではないのか?濃越同盟はすでに兄が生前蔑ろにしておるのだぞ」
「ハハー」
「まぁ良い、しかし、そなたも派手にやりよるでなぁ。兄上の目を誤魔化してこの加地城も攻め落としたようでもあるし」
「面目ござりませぬ」
「過ぎたことはもう良い。言葉のあやじゃて。そなたには恩義を感じておるのじゃ。秀綱もな」
「重家殿、攻めを加減して頂き鳴海院様も深く礼をしてもしきれぬほどじゃ」
「秀綱、重家殿と道満丸、越後の諸将とは一心同体であるのを忘れるでないぞ」
「は・・・」
「鳴海院様、御屋形様のご遺言の件についてでござりまするが」
「そなたもしかとこの目で見たのであろ」
「道満丸様の元服までにまだ日があります故、ご遺言の布告はしばらくできませぬ。ましてや、道満丸様は御館で死去したと言うことになっておりまする・・・」
「そうじゃな、たしかに今全国への布告は出来ぬ。景勝殿と兼続の打倒と道満丸様の元服が最優先と思うておる」
「そうでござりまする」
「この戦は長引くかもしれん。景勝・兼続軍との決戦は避けられぬ。しかるべき時まで兄上の書状の在処を隠しておかねばならぬな・・・」
「最終決戦にまでは少なくてもおよそ三十万の兵と要塞を築けましょう。春日山城の金蔵の十倍は用意できまするが、いまは堅固な防御と兵器庫の拡充に徹する時期といえまする」
「源太殿は逞しいのう。秀綱も見習わなくてはな」
天正十年は国内での争乱が激しくなり、この年は日本国中が戦乱の極みに達していた。二月になり、景勝殿は初めて重家殿と対戦するもことごとく大敗する。
「兼続、阿賀北衆は祖父の時代から攻めあぐねていたそうだな」
「殿、越後がなかなか纏まらないのも、彼らが頼朝公からの国人という想いが強く、しかも鳴海金山と青苧の管轄を容認せざるを得なかったからと聞き及んでおりまする・・・」
「父上が戦に強かったのも彼らの支持があったからなのか」
「川中島でも阿賀北衆の働きが大きかったと言われまする」
「それで父上はあの血染めの感状を送ったという訳か」
「殿、どうされました?」
「景虎殿との対峙では調略で阿賀北衆を強引に取り込んだが、この反抗ぶりはなんなのだ」
「謀が見破られたからでしょう。それに、亡き御屋形様のご遺言の行方が分かりません。彼らは目にしたのでしょうか?」
「それは分からん。道満丸が死去して野斜丸、姫二人も見分けが付かぬほど焼け焦げたと聞いておる。叔母上は自害なされたが」
「御遺言があっても生き残った継承者は殿しかおりませぬ故、ご心配なされませぬよう」
「そうであったな。しかし、上田衆にしか恩賞を授けなかったのは」
「間違いではござらぬ。彼らがいたからこそ結束できるのですぞ」
「そうか。お前の言う通りかもしれぬな」
「腹を括って徹底的に根絶やしにするしか有りますまい」
「しかし、初めて戦ったにしては負けすぎじゃな」
四月、再び重家殿を攻略するが信長軍の領内侵入で手を緩めざるを得なくなった。
六月、本能寺の変で信長殿が死去。信濃での織田殿の旧領地の奪い合いで景勝殿には余裕は無く阿賀北衆とは睨み合いに終わった。
重家殿の陣営では景勝・兼続軍への勝利で沸きかえっていた。
「殿、源二郎殿から文が届いておりまする」
「そうか、すぐ鳴海院様に。馬をひけ。加地城に行く」
源太殿は文を携え愛馬にムチを打った。
「鳴海院様、大変でござる」
「どうされた源太殿、血相を変えて」
「信長殿が本能寺で討ち死にのご様子。源二郎殿からの火急の文でございます」
「何じゃと?」
「どういたされますか」
「首謀者はだれじゃ」
「明智の光秀殿でござる」
「光秀殿も早まってござるな」
「秀吉殿の策に嵌まったということでしょうか」
「毛利攻めは光秀殿を貶める離間の計じゃろうて」
「生真面目なかたで将軍家ともよしみを通じていたからでしょうか・・・」
「いやもっと深い訳がある」
「といいますると」
「信長殿は天子になるおつもりじゃったのじゃ」
「それはなんと」
「光秀殿にはそれがどうしても許せなかったのじゃ」
「信長殿が将軍家や御所を蔑ろにしたのも」
「信長殿が亡くなって一番利を得るのは誰じゃろうのぅ」
「だれでありましょうか」
「ほかならぬ舌足らずな秀吉殿であろうな。己の力を金銀で誇示する腹であろう。景勝がそれにすり寄ろうとは。兄上も嘆いておいでであろう」
本能寺の変の三ヶ月前、勝頼殿は信長・家康軍に攻められ自刃した。
これにより武田家は滅亡していた。
秀吉殿は予定どおり毛利家と和睦して、京都に引き返した。
光秀殿の追討の一番手になって、信長殿の家臣団への印象を良くする必要があった。
「秀吉殿が明智殿と弔い合戦をなされたと書いてございますが、秀吉殿の勝利とありまする。織田家の家督争いが激しくなったとあり、清洲城において秀吉殿は三法師殿の後見人となり、実質的な権力を握ることになるでしょうな」
「由々しきことじゃ。三法師殿は信忠の子では無いか。信長殿の甥じゃな。まだ幼少の身であるぞ。信雄殿や信孝殿ではなかったのか。跡目相続の騒動は我が上杉家もそうじゃがな」
「秀吉殿は幼少の三法師殿の後見人ということで織田家の家臣と諸国への布告を出したかったのでしょう。さすれば、信長殿の実質的な後継者になれる。そういう策でしょうな。勝家殿はお市様と祝言を挙げましたが、秀吉殿との確執が日ごとに強くなっている故、年があければ戦は避けられぬでしょう」
「そなたは道満丸の後見人じゃ。越後の家臣を纏めねばなりませぬぞ。景勝殿では務まりますまい」
「家督を継ぐというのは過酷でございますなぁ」
「ほれ、そのことじゃ、遺言の詔が一番なのじゃ。兄上の書状の巻物はこの城の土中深くに棲まわれるようにしておく。仲川と麻倉には道満丸様が元服して後継者の正当性を布告するまではな」
「ならば、景勝殿と兼続殿にはお覚悟をしてもらわなければなりませぬ」
「捕らえて兼続と粟島に流すしかあるまい・・・国内の諸将に噂を流して味方に呼び寄せる策も必要じゃな」
「鳴海院様は亡き御屋形様の化身のようでござる」
「化身の老婆と呼ぶ諸将もおるでな」
「今でもお美しうござりまする」
「世辞もたまにはいいものよのう」
「世辞でもござりませぬ」
「信玄殿の姫はどうしておる」
「政略とはいえ、おなごはいつも大変よのう」