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1587<道満丸景虎と小姓の戯言>(天正戦国小姓の令和見聞録)HB

人類の歴史を戦国の小姓の視点で深く追究していきます。

戦国小姓の令和見聞録-0050~0054

<戦国小姓の令和見聞録0050>

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春日山城、鳴海幕

お屋形様:上杉道満丸景虎

見聞録検め:小姓

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天正四百五十一年 八月七日

「リスクを伴うMLB複数年契約」

 Shohei Ohtaniの二刀流が脚光を浴びているが、春からのWBCやシーズン初期からの疲労蓄積で全身の筋肉の痙攣化が著しくなり、フルシーズン出場も危ぶまれている。MLBのピッチロックなどのヅール変更も多くなり、ダブルロックが導入される公算が大きくなっているので二刀流の継続も難しくなることも予想される故、お屋形様も心配をされておる。一番大事なのは無理をせず地道に成績を上げていく事じゃ。今年無理を通して頑張りすぎ体に異変が起きたらFAどころではなくなるからじゃ。他の活躍しているMLBの選手で多額の複数年契約をしたものの、成績が振るわなかったり、故障者リストで甘んじている光景を見ていると、MLBの球団との契約は単年度で歩合制で行うのが今後日常化するのではないかと軒猿達は言っておる。Shohei Ohtaniは2024年に三十歳を迎えるが、Ichiroのように四十歳を超えてまで二刀流が維持できて良い成績を収められるかは誰にもわからぬ。MLBのルールもどんどん変わってゆくであろうし、二刀流での各部門のタイトルを獲るチャンスもそう多くはないはずでござる。さすれば、無理をせず休養もしてマイペースで二刀流の世界を極めるべきなのじゃ。タイトルなどは無用でござる。野球を楽しくさせてくれる存在感が大事なのでござる。

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<戦国小姓の令和見聞録0051>

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春日山城、鳴海幕

お屋形様:上杉道満丸景虎

見聞録検め:小姓

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天正四百五十一年 八月八日

「参百年後の日の本の光景」

 令和五年、すなわち天正四百五拾壱年から参百年後の日の本と世界はどのような光景でござろうか。平たく申せば西暦弐千四百弐拾参年と也申す。このように申せば申すほど拙者もは訳が分からぬのも無理はなかろう。天正の戦の最中に令和の戦の場に来てしまったからじゃ。戦国の世に早く戻りたいが後世の領民達が苦しんでいる光景を目にするといたたまれなくなるとお屋形様は申されておる。良き太平の時代にするべくこれまで世を渡ってきたが、令和の時代がこれほどまでに荒んでいるとは思いもよしなかった故、少しでも世直しのため諫言役に徹しておる。それでも変わらねばそなたらの未来はないと思うても仕方あるまい。時を超えてきた者にはその時代に直接関わり合うのは御法度なのでござる。三百年後の日の本の風景を見に行ってきたばかりじゃが、ここで申すのにはいささか躊躇する次第でござるが、お屋形様のお許しもござれば参考のため少しだけ申しておこう。

その壱、日の本は亜米利加の属国になっており、USAの五拾壱番目の州になっておる。その名はフォアイースト州でござる。州都は北海道の富良野でござる。

その弐、フォアイースト州は原発汚染で本州には住めず北海道のみでござる。

その参、亜米利加軍と今の自衛隊は合流し国家予算なみの規模になっておる。

その四、これ以上申すのには胸が痛む故、控えさせていただく。くれぐれも他言なきよう。

 

 

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<戦国小姓の令和見聞録0052>

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春日山城、鳴海幕

お屋形様:上杉道満丸景虎

見聞録検め:小姓

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天正四百五十一年 八月九日

「日の本の大麻騒動日記」

 日の本では天正の頃を遡ること5000年前から大麻栽培の痕跡が残っているそうじゃ。足利幕府の初期のころか分からぬが、印度から本格的なケシの栽培方法が伝わり、戦国時代から昭和の敗戦である八拾年前ころまでは帝も推奨するほどの隆盛ぶりだったそうじゃ。戦前はケシの九割が軍用に役立ち莫大な利益があがっておった。戦前の軍備の増強ではかなり役だったと聞いておる。麻は日の本の領民にとって衣食住の要となる貴重なものであったのでござる。食用や吸引での乱用は領民の体を蝕むものであったため、諸国の領主達も大麻の扱いを誤れば国を滅ぼす事態と相成るため細心の注意を払わせていたそうじゃ。列強諸国が大海時代の植民地政策の一環としてアヘンの栽培と輸出策にでておった。英国は印度の植民地化で大量のアヘンを清国に売りつけアヘン戦争なるものに突き進んだのはそなたらも知っておろう。GHQ大麻栽培の禁止令で日の本ではそれまで帝も公認していた栽培もできなくなったと言うわけじゃ。令和の時代でも大麻の騒動が盛んな様でござる。或大学の幾人かのアメフト運動選手が軽はずみで大麻覚醒剤を試していたようでござるが、大学の上層部ではその騒動のもみ消しに回っている光景には目に余るものがある。最高責任者たる理事長は事の経過をなにも知らぬと申しておる。責任は部下の幹部にと、前理事長と同じ立ち位置とはお屋形様もお怒りでござる。作家という本業もござれば、安易に理事長を引き受けたリスクは考えなかったのでござろうか。卒業生ならば母校を突き放してでも良き方向に導かねばならぬ。この大学のブランドはどんどん落ち続けるのはいたしかたなかろう。数年前のアメフトのアンフェアな競技騒動で懲りたはずでござる。普段真面目に勉学に勤しむ学生達が可哀想じゃ。

 

 

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<戦国小姓の令和見聞録0053>

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春日山城、鳴海幕

お屋形様:上杉道満丸景虎

見聞録検め:小姓

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天正四百五十一年 八月十二日

日航123便事故と日米合同委員会の点と線」

天正四百五拾壱年からおよそ参拾八年も前に航空機事故で多くの領民が亡くなったと聞き及んでおる。当時の日本政府は事故原因の究明には及び腰だったことも軒猿からの知らせもある。棟梁からして事故の真相は墓場まで持って行くと話していたほどじゃから絶対言えない訳もあったのでござろう。何年か前に相模湾の海底に事故機の残骸が発見されたのじゃが、誰も関わるなという事になっておる。領民がそれで納得するはずがないのは当たり前の事でござる。桑港講和条約は一九五二年でござったが、GHQの後を引き継いだのはJUJC(日米合同委員会)であるのは存じておろう。この委員会には日本側は高級官僚、亜米利加側は米軍の参謀たちで成り立っており、現役の政治家は参加出来ない仕組みと相成っておるようじゃ。月に二回、年に二十四回もの会合が行われておる。ここでの合意は日本政府の三権分立の上に位置しており、事実上、日本は亜米利加の隷属という戦後の延長が今日まで続いておるということじゃ。日米安全保障・日米地位協定・日米原子力協定の遵守と日本への監視体制が未来永劫続くということになる。1990年代のクリントン政権から亜米利加からの日本に対する年次改革要望書は日本には未だに主権が存在しないことを意味しておる。2000年代に入り、アーミテージレポートの文書がそれに変わり、日米合同委員会と綿密にリンクしておるのを日の本の領民は知っておかねばならぬ。日本がいくら憲法改正といっても無駄でござる。元日本の棟梁が憲法改正をしきりに唱えたが暗殺されてしまった背景には、日米合同委員会とのの関わりがあったとしか思えぬ。推理は自由であるから言わせてもらうが、桑港講和条約の折り、日本政府は原爆投下に関与した軍の参謀を表彰したという不条理なことが行われた。桑港講和条約は日本が亜米利加に対し未来永劫下僕ということを決めたといっても良かろう。戦前の帝が戦後も身の保証を約束された見返りとでも言えるかもしれぬ。松本清長殿も申しておったが、GHQが日米合同委員会という名に変わったにすぎぬ。日本政府を監視しコントロールする絶対的な支配権があるのじゃ。日本の領民の行く末が危うい。お屋形様も心配なさっておる。一九八五年の日本航空壱百弐拾参便の悲劇の起因はトロンBプロジェクトの世界制覇を目論む日の本の勢いにあったことは間違いござらぬ。スーパー301条項で亜米利加が日の本に貿易弊害を匂わせてトロンB―OSの撲滅を図ろうとしていた矢先に123便の事故があった。123便には世界最高峰のトロンB開発者が大勢搭乗しておったそうじゃ。日の本の制空権を握っている米軍がこの機を逃すはずがござらぬ。戦国の世では戦の要を壊滅すれば勝利の女神は訪れる。今の世でも考える事は同じでござる。ウインドウズやアップルやDOS-VがITの世界制覇を成し遂げたのには大きな理由があったことを日の本の領民は知るべきでござる。今はただ38年前の犠牲者を慰霊するしかござらぬ。墜落してから救出までの16時間の謎の空白、墜落現場の特定が二転三転したこと、墜落してから二時間後には米軍や自衛隊が現場に関わっていた事、自衛隊員の射殺や自殺が相次いだこと、遺体の損傷から二度のやけどの痕跡が認められていたこと、相模湾の海底の期待の残存など、日本政府の対応が曖昧で、全て亜米利加の指示に従ったと言われても仕方があるまい。国家同士の利益のために尊い命を奪ったその報いは必ず誰かが受けねばならぬ。あくまでこれはお屋形様のお考えでござれば言い過ぎでござったら許されよ。

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<戦国小姓の令和見聞録0054>

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春日山城、鳴海幕

お屋形様:上杉道満丸景虎

見聞録検め:小姓

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天正四百五十一年 八月十三日

「限界に来た原発汚染水の処理水と汚泥」

戦国の世では原発などというものはありもせぬが、令和の時代では地球上で五百基もの原子力発電所があるそうじゃと聞いておる。戦前の末期に広島・長崎でウランとプルトニウム原子爆弾が亜米利加軍に投下されたが、無数の罪のない領民が尊い命を奪われてしまった。令和幕府が未だに核兵器禁止条約にも署名をせぬというのはどういうことじゃ。日米合同委員会が実質的に令和幕府の院政を敷いているからじゃろうか。日の本では原発で余ったプルトニウムで6000発相当の核爆弾を作れるそうじゃが、亜米利加軍やIAEAが常時つぶさに監視をしておるし、そうおいそれと核保有はできぬじゃろう。自然災害での原発破壊は永年の原発の安全対策を怠った政の過ちが原因とお屋形様は申しておる。汚染水を処理水として海洋に垂れ流すと申されるが、そのために汚泥の量が増大し陸の上で保存するのには限界がありそうじゃ。人体や海洋生物に影響がでるのは当然でござろう。名前は領民からは忘れ去られたが、当時の首相が東京五輪の誘致プレゼンテーションで、原発の汚染水は完全にコントロールされておると言うのは全くのでたらめであったのは事実でござろう。五輪より原発事故の処理を優先するのが棟梁の責務のはずじゃ。トルコのイスタンブールに開催を禅譲するのが筋でござった。加えてCOVID-19のパンデミックのなかで五輪を強行開催し、多くの汚職が表沙汰になり、近代五輪の存在価値も希薄になっておる。そんなことより、日の本の国土が汚染水に侵され棲めなくことは覚悟せねばならぬ。

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