ジャーナリズムランキング

1587<道満丸景虎と小姓の戯言>(天正戦国小姓の令和見聞録)HB

人類の歴史を戦国の小姓の視点で深く追究していきます。

戦国小姓の令和見聞録0055

<戦国小姓の令和見聞録0055>

○___________________○

春日山城、鳴海幕

お屋形様:上杉道満丸景虎

見聞録検め:小姓

○___________________○

天正四百五十一年 八月十四日

「令和時代の差別用語と勘違い」

 戦国の世では差別というのは日常茶飯事で使われておった。つまらぬかわら版所は領民からの異議申し立てを気にしおって当たり障りのない姿勢でござる。これでは日の本の本来の美しい言葉の扱いは出来ぬはずでござる。拙者は令和の流儀は知らぬが、人間の表現と自由は未来永劫なくしてはならぬと考えておる。例えばじゃ、令和の芸能人の高飛車ぶりが気になる故、申しておくが、一般人と入籍したとよく報じられるが、一般人とはどういう意味じゃ。芸能人は一般人ではないのじゃろうか。自営業で興行を売り物にする商人のことじゃと思うが。有名人は特殊な能力を持った人間かは疑わしい。戦国の世ではかわら乞食とよく言われておる。世も変わったものでござる。きちがい・ジプシー・特殊部落・土人・トルコ風呂・肌色・めくら・おそ・かたわ・痴呆・白痴などは言葉自体には差別語という定義はないが、社会的に利用するのは弊害が生じるということなのかが問題なのじゃ。文芸武士は差別用語などは気にしてはいかぬ。表現の幅が狭まるしなにしろ自由な発想空間が奪われ、つまらぬ読み物となる故、読まれる領民には合点が行かぬのは当たり前のことじゃて。細かなところは書物になるまで専門の編集小姓に任せておけばよい。坂口安吾殿、ドストエフスキー殿は「白痴」という傑作を編みだしておる。なんでもかんでも差別、差別と吠えていては話は進まぬ、SDGSという日の本用語ではジェンダーといわれておるが、性差別からの解放が定義にござれば、いささか不都合な場合もござる。競走馬の世界では牝馬・牡馬・せん馬・白馬・芦毛馬・鹿馬・黒馬などは平等に扱われておる。人間ではどうじゃ。男女共用トイレ、男女共同風呂・男女共同出産なども批判するべきではないというものもいる。同性結婚は自然の摂理的にいえば良くないが個人志向的には良くないとはいえぬ。男用のトイレを真面目に清掃してくれる女性をよくお見受けするが、拙者とてあそこをジッと見られるのは自信がないのでとても恥ずかしい。そなた達もそうであろう。さすればその反対に女性用のトイレを男子が丹念に清掃作業をしてみたいという希望があれば受け入れてもよかろう。拙者は迷うことなく命をかけてでもいの一番に応募する。差別というのは人間の業でござる。全て平等で差別をなくすのは理想でござろうが、人には百八つの煩悩がござる。それを超えられるのはお釈迦様しかおるまい。

○___________________○