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1587<道満丸景虎と小姓の戯言>(天正戦国小姓の令和見聞録)HB

人類の歴史を戦国の小姓の視点で深く追究していきます。

謙信の遺言状「鳴海院~謙信の詔」(御館の乱疾風録)第一章

「鳴海院~謙信の詔」(御館の乱疾風録)

 

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◆あらすじ

私は亡き謙信公の遺言状の巻物だが、御館の乱の最終決戦の前に加地城の土中に埋られた。道満丸は上杉憲政と共に春日山城へ和睦交渉の途中で景勝側に殺害される。道満丸は双子の野斜丸が身代わりになっていた。謙信は遺言状を密かに書いていた。小姓の勘五郎は詔を携えて垂水源二郎と加地城の謙信の妹の鳴海院を頼って逃げる。道満丸は立派に元服し、父景虎や母華渓院、弟達の遺恨を胸に春日山城奪還の為、秀吉の後押しを得た景勝・兼続軍との決戦に挑む。御館の乱は十年もの間続いていた。ダイナミックで爽快な戦国シミュレーション活劇。(約八割が会話篇)

 

 

◆主な登場人物

上杉謙信(輝虎)

・鳴海院(謙信の妹、加地城主春綱の正室、景勝の従兄弟に当たる秀綱の母)

・上杉道満丸(景虎の嫡子、弟に野斜丸がいる)

・源太(新発田重家、新発田城主)

・勘五郎(五十公野信宗、五十公野城主)

・倉田五郎(青苧座の棟梁、謙信の支援者)

・上杉三郎景虎(謙信の正式な養子、景勝の調略で悲運の死をとげる)

・垂水源二郎(川中島の戦いでの謙信の影武者)

上杉景勝

直江兼続

溝口秀勝(後の新発田藩城主)

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第一章 天正五年(1577年)、晩秋

 

 

私は永い間城跡の土中に深く棲みついている。

天正五年に春日山城で生まれて以来はや十年になる。

時の記憶は今途絶えようとしている。

 

生前、輝虎様はこのような光景を想像していただろうか。

天正十五年、鳴海院様の布告は天下を左右するに違いなかった。

輝虎様が突然身罷られ、越後全土は景虎様と景勝殿との跡目相続の争乱で十年もの間

確執が続いている。

私には日の本史上最大の決戦の行方は分からない。

土中に棲みついている間に越後の国や大和の国がどうなったのか。

源太殿と道満丸様の声が地響きで伝わってくるようだ。

 

「道満丸様、いや、御屋形様、輝虎様の下で戦った川中島を思いだしまするぞ。この阿賀野川の向こうには十万の兵が待ち構えてござりまする・・・」

「源太殿、望むところだ。こちらは十五万の兵じゃ。この戦に勝って新しい幕府をつくろうぞ・・・。越後は言うに及ばず日の本を纏めるのだ・・・」

「頼もしきお言葉恐れ入りまする・・・。秀吉殿もこれで見納めにござりましょう・・・」

「亡き御屋形様がご存命の頃を思いだすのう・・・」

「そうでござりまするなぁ・・・」

「それみよ、敵の後方には味方の援軍が駆けつけておる。輝虎様も背中を押してくれているようじゃ・・・優に五万は膨れ上がったぞ・・・」

「きっと歴史に残る戦いとなりましょう・・・。鳴海院様も陣へ馳せ参じておりまする・・・」

「鳴海院様の白馬の女武者姿も凜々しいのう・・・」

「まさしく美しき女毘沙門天の化身でござりまするな・・・」

「お若い時は越後一の美女であったと聞いておる・・・」

「道満丸様、それを言ってはなりませぬ。四十をとうにお過ぎになられた今でもそうでござりまするぞ・・・」

「おう、そうじゃった、叔母上には世辞は無用であったな・・・」

「無用でござりまする。鳴海院様に世辞を疑われては、お命がいくらあっても足りませぬぞ。何を言われてもそう通されませ・・・。一本気な気性は輝虎様譲りゆえ・・」

「ハハハ、源太殿そのものではないか・・・」

「やはり、そう思われまするか・・・」

「源太殿、顔が赤くなっておるぞ。叔母上とそなたはお似合いのようじゃなぁ・・・」

「滅相もござりませぬ。身に余るお言葉なれど、どうかその儀だけはお許し頂きたく・・・」

「なにを勘違いされておる。そなたと叔母上は馬が合っていると言うただけじゃ・・・」

「そ、そ、そうでござりまするか・・・」

「汗もかいておるな・・・。眼も潤んでおる。一体どうしたのじゃ・・・」

「何でもござりませぬ・・・」

「ハハハ、安堵せよ、そなたのほのかな美しい心根は誰にも申さぬて・・・」

「道満丸様にはかないませぬ・・・。しかしながら義をもってそのことは・・・」

「義と酒をもって誓っても良いぞ・・・」

「ハハー・・・」

「この乱世がおさまれば日の本も良くなろう。秀吉殿は権力を金で塗ろうとしておる。これでは日本の政が底をつくのは必定じゃ。鳴海の金山はそのためにあるのではないぞ・・・」

「景勝殿は越後を売る気でござりまする・・・」

「良いか、源太殿、阿賀北衆とともに、我らはお互いに名を残すのじゃ。父上、母上、野斜丸の御霊もこれでうかばれるというものじゃ・・・」

「勘五郎、ワシの後に続くのじゃぞ。秀吉殿と景勝殿の首を取るのじゃ・・・」

「あい分かり申した・・・」

「源太殿、そろそろ始めるとするか・・・・」

「道満丸様、いざ、合戦の合図を・・・・」

 

 

遡ること天正五年秋、輝虎様は能登七尾城の攻略成功と手取川の勝利で凱旋を果たしていた。

鳴海院様は子息の秀綱殿や分家の城主である源太殿を伴い春日山城に訪れていた。

輝虎様は以前から中風を煩い、休みのない激戦が体を蝕んでいたようだった。鳴海院様とは異母兄妹の仲であり、加地春綱殿に嫁ぐ前から気心が知れている。

四十過ぎから中風の疑いがあったが、五度に及ぶ川中島の激戦で無理がたたったらしい。お亡くなりになる一年前、死を予見した輝虎様は、青苧の布で巻かれた書状を常に手元に置いていた。小姓の勘五郎がそれを四六時中警護していた。

春日山城内でも景勝殿と景虎様が反目しあっている事に憂慮していた。私の記憶によれば跡継ぎの名にどちらも記されてはいない。

誰が記されているかは輝虎様以外誰にも分からないが、唯一存じている方がいる。

鳴海院様は幼少の頃、輝虎様の面倒をよく見ていた。輝虎様も鳴海院様も父為景殿の側室の子として育てられていたが、鳴海院様の天真爛漫な立ち振る舞いは春日山城では気に入れられていた。互いに異母兄妹という同じ境遇が敬意と何かの結束でつながっていたのかも知れぬ。鳴海院様は幼少の頃は柘榴茉莉花姫と呼ばれていた。ザクロとジャスミンの香りが鳴海院様の体中から放たれていたと小姓から耳にはしていたが、私にはどういう香りか分からない。その後名を替え鳴海姫になり、政略結婚で加地城主の加地春綱殿に輿入れをして鳴海御前となる。春綱殿亡き後出家はしたが子息の秀綱の院政を続け、御館の乱の最終決戦にまで至る。

この春日山城での二人の再会がこれで最後になるとは・・・。

輝虎様は気丈なうちに生まれてからの想いを鳴海院様と語りたかったようだ。三十年間休みなしの激戦の日々である病が体を蝕んでいたが、二人で語り合うと解放感に浸れるようだった。

難攻不落の能登七尾城を攻略し、加賀での手取川の戦においては信長軍に大勝利し、能登越中を手中におさめたばかりで、生涯で最後の戦いであると輝虎様はうすうす感じていたのかもしれぬ。

 

「鳴海、待ちわびたぞ。永いこと会ってはおらぬかったな。息災であったか?」

「兄上、もったいのうござりまする。こちらへの道中で聞き及びましたが。九月の能登七尾城の攻略、先だっての手取川での勝利おめでとうござりまする。信長殿の軍も退散なさったとか。さぞお疲れに成されたでしょう。その後、ご自愛の程は・・・」

「なに、それほどのことでも無い。少々疲れただけじゃわい。おぅ、そこにおるのは秀綱か。川中島ではご苦労であったな。源太もおったか。そなたもなかなかの働きであった。ワシは忘れてはおらぬぞ。感状は送らなかったが、身内同然ゆえ敢えてしかと手元に置いておいた。長引いてはしまったがそなたに直に渡そうと思うてな・・・」

「御屋形様、そのお言葉痛み入りまする。ずいぶんと昔のことでござりまする故。お言葉だけで嬉しゅうござりまする・・・」

「源太、そうかしこまるな。お前らしくないぞ。まぁ、一杯つきあえ。阿賀北衆では一番強いのじゃろ・・・」

「酒のほうだけではござりまするが・・・」

毘沙門天の化身も落ちぶれたものよのう。先の二度の戦いで体の節々が痛おうてたまらん。源太もそう思わぬか・・・」

「わたくしめは毘沙門天様の化身の警護の分身でありまするゆえ・・・」

「ハハハハ、おぬしも良く言うわい。面白いのう・・・」

「兄上、今日は大事な言づてでもあるとおみ受けいたしましたが・・・」

「おぅ、そうじゃ、そうじゃ、源太も秀綱も良く聞いておけ。鳴海にはこれからご足労かけるかもしれぬが・・・」

「兄上、何なりとお申しつけくださりませ。決して口外は致しませぬ・・・。源太様も秀綱もしかとよろしゅうござるな・・・」

「は・・・・・・」

「ここに書を認めたものがあるが鳴海院にお預けいたす。そこで、そなたらに一つ頼みがある・・・・ワシが不測の事態の折は、越後の所領の諸将にこの書を布告してほしいのじゃ・・・」

「そういう大事なことは、景虎様や景勝様にお願いなさればいいものを・・・」

「しかしそう簡単にはいかぬのじゃ。中身は書状にはしかと認めておる。これが今噂になれば内紛は必定だ。だからこそ鳴海院に託したいのじゃ・・・。しばらく内密にしてほしい・・・」

「しかし兄上にそのように申されましても・・・・」

「越後と日の本の乱世を終わらせるためぞ・・・」

「そうまで申されるのなら、謹んでお受けいたしまするが・・・」

「すまぬな・・・。もうひとつ、頼みたいことがある」

「何でござりましょう・・・」

「鳴海、道満丸を加地城に連れていってはくれぬか。修行させたいのじゃ。他の諸将にも道満丸と気づかれぬよう名を変え顔に泥を塗り小姓として扱って欲しい。名は

そうじゃな・・・丸山輝吉とせよ。思いつきで許せよ、道満丸・・・」

「滅相もござりませぬ・・・」

「なに、元服までの間じゃ。鳴海金山は青苧とならぶ貴重な宝だ。越後軍にとっては無くてはならぬもの。それを取り仕切る阿賀北衆の諸将は無碍にはできぬ。道満丸には諸将をまとめ上げてほしいのじゃ。ワシに何かあったら、道満丸を旗頭にして天下布義を進めてくれ・・・」

「野斜丸様はどうなさるおつもりでござりまするのか・・・」

「なに心配はいらぬて。道満丸とは双子故、傍からでは見分けはつかぬはずじゃ。この先、同じ道を歩むのは難しいじゃろう。道満丸が元服するまで、憲政の館におくが、その後寺に預けよう思うとる・・・」

「よう分かりましたが、私めにはまだどうも合点が行きませぬ。兄上にはまだまだこれからではござりませぬか・・・」

「ワシのこれからはワシが一番良う知っておる・・・」

「そこまで申されるのなら・・・」

「最後にもうひとつ・・・」

「まだ何か。なんでござりましょう・・・」

「源太に小姓の勘五郎を預けたい・・・」

「源太殿、こちらへ・・・」

「そなたは今、五十公野城主のようだが・・・」

「ハ、世継ぎがおりませぬ故、養子になっておりまする・・・」

新発田城には兄の長敦がおるでな。しかたあるまい。源太、承知してもらえぬか・・・」

「仰せのままに・・・。お預かりいたしまする・・・」

「それと以前、川中島でおぬしらと共に戦ってくれた色部、安田、中条、垂水らには感状を送ったものだが・・・。たしか源二郎はそなたと同じ阿賀北衆だったな・・・」

「垂水殿のことは・・・川中島以来お噂は聞いておりませぬが・・・」

「あいつはワシの代わりに信玄殿の本陣に突っ込んで、しかも直接太刀で傷を負わせたようだが。甲州ではその話で尽きぬそうじゃ・・・。安堵せよ、源二郎は堺で元気に暮らしておる・・・」

「堺でござりまするか・・・」

「ワシに良く似ておるでな。あいつも越後にいては何かと不都合じゃ。蔵田殿に頼んで堺の商人に分して諸侯を調べさせておるのよ・・・」

「さようでござりましたか・・・」

「信玄殿が亡くなってはや五年となるな。室町幕府もすでにない。義輝殿との約束も果たせなんだ。ワシも輝虎と名を替えたが、寂しいものよのう。最後の川中島ではお互いに睨み合いで終わった。信玄殿とは十二年ほど睨み合って戦ったがワシにとっては良き相手ではあった。今では勝頼殿とは縁を結んでも良いと思っている。どうじゃ、上杉家と武田家が親戚になるのじゃ・・・。信長殿の家臣から春日山城に人質を出すという書状も来ておる・・・」

「兄上、たわけたことを申されるな。代が変わっても未だに武田殿とは決着がついておらぬのですよ。信長殿とて益々勢力を増しておられます。調略に惑わされてはいけませぬ。あの方に幕府は潰されたのですよ・・・」

「鳴海、そう心配いたすな。北条と武田と上杉で盤石な体制を敷いて上洛する手はずも整えておる。信長殿の魂胆は承知しておる。調略の裏を見据えておれば良いのじゃ。源太、兄の長敦とともに武田家とは上手くやってくれ。そなたならやれる・・・。道満丸のことも鳴海院ともども頼んだぞ・・・」

「ハハ、・・・・」

 こうして輝虎様の巻物の書状となった私は鳴海院様に託された。

輝虎様の話は鳴海院様には戦国の乱れが如何に大変か知らしめるものだった。

「幼少の頃はそなたとよく遊んだものよのう」

「まだ林泉寺に入られるころでしたね・・・。五年ほどおられましたでしょうか」

「父が亡くなり兄晴景は国主としては荷が重かったんじゃろう。ワシはまだ寺でゆっくろと修行するはずだった・・・」

「そうでござりましたなぁ。思いだしまする。六歳の頃寺に入られて五年ほどで呼び戻されました・・・。こう申しては昔を蒸し返すので控えとうござりまするが・・・」

「構わぬ。ここにおるのは皆身内じゃ。気にはせぬ・・・」

「思い返せばあのときのお美しいお姫様には気の毒でござりました。凜とした立派なお方でした。未だに私の目に焼き付いておりまする・・・」

「ワシの御前にするはずじゃったが・・・。美しかったのう・・・」

「兄上が奥方様を召さない理由はわたくしだけが・・・。想い人の記憶は決して消えるものでもありますまい。毘沙門天の化身の正体も形無しでござりまする・・・」

「あれ以来何事にも関せず仏門で生涯を終える腹ではあったが・・・」

「それも世の常。仕方ござりませぬ。越後は、はたまた日本は兄上の力と義がなければ成り立ちませぬ。一国を治める為には毘沙門天様の人智を超えたご加護がなければいけませぬのじゃ・・・。夫春綱は我が子秀綱を遺して旅出した故、神様のご加護にどうしてもすがるしか無く今日まで過ごして参りましたが、兄上にはまだまだずっと息災でいてもらわなければなりませぬぞ・・・」

「信長殿が天下布武を唱えたそうだな。武力だけでは諸将は纏められるものではない。論功行賞は公平であらねばならぬ。媚びへつらう諸将は必ず非業の死を遂げる運命にある。ワシは運良く源太らのおかげでここまでこれたのじゃ。先のことは分からぬが、越後では青苧と大量の金銀のおかげで軍備が潤っておる。しかし一番大事なのは、人の心根と義への畏敬心なのじゃ。天下布義で太平の世を作る。不正義には毒をもって毒を制することも必要だが、信長殿の天下布武では乱世は一向におさまらぬ・・・。分かるな源太。これがワシの遺言じゃ・・・」

「御屋形様、何を言われまする。滅相にござりませぬぞ。わたくしのような阿賀北の小兵にはもったいのうござりまする・・・」

「源太、心配するな。ワシは毘沙門天の化身じゃ。このように元気でおるではないか・・・」

「ハハー・・・」

源太殿はその後長敦病死の後、新発田城家督を継ぐ。名は新発田重家となり御館の乱の最後の決戦に挑むこととなる。五十公野城は勘五郎が入れ替わって城主になった。名を五十公野信宗とした。

鳴海院様にはこれが輝虎様と最後のひとときとなった。

「勘五郎、三の丸の景虎と華をこれへ呼べ・・・」

「承知つかまつりました・・・」

「鳴海、その書状の中身は片時も目を離すではないぞ。あとで、そなたの目で確かめてくれ。今は誰にも見せてはならぬ・・・」

「分かり申した・・・兄上、ご案じ召されるな。仲川、麻倉これへ・・・。兄上、私の息子秀綱の小姓でござりまする。以後御見知りおきを・・・」

「鳴海院と秀綱をよろしく頼むぞ」

「ハハー、命に代えましても・・・・」

「まぁ、気を楽にせよ」

「御屋形様、お呼びでござりまするか。華もここへ・・・。これは柘榴姫と茉莉花姫にござりまする・・・」

「野斜丸はどうした?道満丸はとうに来ておるぞ・・・」

「憲政殿と城内を散策しておりまする・・・」

「まぁ、良いわ。景勝は相も変わらず塞ぎ込んでいるようだな・・・。いくら呼んでも来ようとはせぬ。何が気にいらぬのじゃ。こまったものだ・・・」

景虎、此度はごくろうであった。ようやく能登を攻略したな。かなり攻めあぐねたが、そなたのおかげで三度目の上洛も叶えられそうじゃ」

「身に余るお言葉。痛み入りまする・・・」

「氏康殿が亡くなって久しいが、あのときはそなたには合点がいかぬと感じたであろうが、今はワシにとっては良かったと思う。武田殿と北条殿とはまた組めばいいと思うておる。後ほど酒席で語り尽くそうでは無いか・・・」

「わたくしにお役に立てられることがあれば何なりと・・・」

「そう畏まるな。親子では無いか。道満丸のことについてはワシの勝手ではあった。許せ・・・。それと、柘榴姫と茉莉花姫はそなたの兄の氏規の計らいで服部正成殿に預ける。氏規殿は家康殿と今川の人質であったな。家康殿とは睨み合いもあったが仲良くせねばなるまい・・・」

「御屋形様のお考えがあってのことでござりましょう。華も納得至してござる・・・」

「姫二人と道満丸は酒席にはそぐわぬ故、華と憲政殿の相手をさせてはくれぬか・・・」

「あい分かり申した・・・」

 御屋形様は鳴海院様一行をもてなす手はずを整えていた。