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1587<道満丸景虎と小姓の戯言>(天正戦国小姓の令和見聞録)HB

人類の歴史を戦国の小姓の視点で深く追究していきます。

謙信の遺言状『鳴海院~謙信の詔」(御館の乱疾風録)第二章

第二章  御屋形様の真意

 

 

輝虎様は三の丸での宴の前に鳴海院様を毘沙門堂に招き入れた。

春日山城は大きゅうござりまするなぁ。子供の頃と変わりませぬ。変わられたのは城主だけ・・・」

「ここにそなたを呼んだのは他でもない、これからの越後のことだ・・・」

「かような女ごときにそのような大事なことをおっしゃられても・・・」

「そなたのご生母は公家の出だが、武術に秀でた天皇家の守り人の血を引いている。ワシが寺に入ってから目にしたあの姫君はそなたの従姉妹でもあったな。はからずも、下克上のなかでの悲劇であった。そなたも越後一の美貌だったが、あの姫君は言葉には言い表せぬ美しさだったのう。いま思えば悔しくて仕方が無い・・・」

「わたくしが・・・だった、でござりまするか?」

「いや、言い間違えじゃ・・・。そう怖い顔をするな。ゆるせ・・・」

「かの凜姫は兄上と離れ離れになったあと、嫁がされると聞いておりましたが・・・」

「相手は何処の諸将じゃ・・・」

「わかりませぬ。凜姫は嫁ぐ前に突如姿を隠されたそうでござりまする・・・」

「それでどうしたのじゃ・・・」

「兄上、血相が変わられてまするぞ・・・」

「・・・・・」

「御屋形様であろうお方がそのようでは困りまする・・・縁者の申すには、凜姫殿の姉に身を隠されたと聞いておりまする・・・。」

「その後はどうした・・・」

「溝口殿は嫁ぎ先のほうから叱責され石高を半分にされたとか・・・」

「して凜姫は・・・」

「未だに独り身を通しているそうでござりまする・・・」

「・・・・・・・・」

「兄上のことをお慕いされていたからでしょう・・・」

「たしか鳴海も父の政略で春綱殿に嫁いだのであったな・・・」

「わたくしとて今は独り身でござりまするが・・・何か・・・」

「しかし凜姫にはすまぬことをした・・・」

川中島の二度目の戦の後でございましたでしょうか。軒猿の者から聞き及んでござりまするぞ。兄上は家臣の領土争いや国衆の争いでお疲れになり、一時出家を試み、高野山に向かいましたなぁ。その間に、大熊殿が武田に寝返り、急遽春日山城にお戻りになり、討ち果たしたことは賢明でござりました。そのことが越後を堅い絆で纏めることになったのですから・・・。それに・・・」

「それに何じゃ・・・・・」

「兄上の出家の理由でございますが、女の勘ですぐ気づいてござりました。あの凜姫が愛しくなったのでござりましょう?・・・・・」

「何をいう・・・」

「妹に隠し立ては通りませぬぞ・・・」

「鳴海には負けたわ。家臣の争いで疲れておったのではない。凜姫のことが忘れられなくてなぁ。このワシが毘沙門天の化身とは良く言ったものよのぅ・・・」

「ご自分を卑下してはなりませぬ。それが女子への誠意と義でござりますれば・・・」

「鳴海にも嫁ぐ前には、確か好いた武将がおったのぅ・・・」

「兄上、話の筋がそれてござりまする・・・。もう昔のことでござりまする・・・」

「おぅ、そうであった・・・。ワシとしたことが。鳴海だからこそワシの本心を聞いてもらいたかったのじゃ・・・」

「そこまでおっしゃるのなら・・・。いかほどでも聞いて差し上げまする・・・」

「先ほどのワシの書状をいま見てくれぬか。勘五郎お渡ししろ・・・」

「なんの巻物でござりまするか・・・」

「読んで見てくれぬか・・・」

「こ、これは・・・・・・・」

「いかがした・・・」

「天下布義の詔ではござりませぬか。信長殿の天下布武の真向かいでござりまするぞ。これでは争いは避けられそうにありませぬ・・・。それに・・・詔は御所のお言葉でござりまするぞ。信長殿は日の本の天子になるおつもりなのでしょう。兄上も同じでござりまするのか・・・」

「そう怖い顔をするな・・・。そうではない、毒をもって毒を制する。乱世が終わったその後は政に専念するのじゃ。御所を蔑ろには出来ぬ・・・」

「信長殿は天子様を目指しておいでのようじゃ。力があれば誰でも皇帝になれるとお考えなのじゃ。元のチンギス・ハーンや大明帝国永楽帝のように・・・」

「乱世が終わるのならそれも良かろうて・・・。今はしかたなかろう・・・」

「兄上、そのことはよう分かりもうした。ですが、家督に関しては早まってはなりませぬ。これでは皆納得しませぬぞ・・・」

「ワシの遺言でもか。毘沙門天の化身も落ちぶれたものよ・・・」

「そうでは有りませぬ。おふれを出せば皆従うでしょうが・・・・」

「そこが問題なのじゃ・・・。景勝も景虎も承諾してくれれば良いのだが。その懸念が徘徊したら埒があかなくなる・・・」

家督相続の件は兄上のことに関する故、わたくしめには、何も申すことはござりませぬが、些か不安にもなりまする。値踏みをするなど恐れ多いことではござりまするが。

次の御屋形様(御実城)、御中城様、関東管領様の棲み分けは上手く行けばよろしゅうござりまする。がしかし、大事なのはその方の器量でござりましょう。わたくしが見るに、景勝殿は国をまとめ上げる器があるとは思えませぬ。側近がいなければ何も出来ますまい。力のある方に従うというお方と御見受けいたしまする。越後の金銀量は日本の約半数を占め、青苧の扱い量で天下に号令をかけられるほど財政は潤沢でござりまする。兄上をお継ぎになるかたなら、それを礎に「天下布義」を貫かねばならぬでしょう。もはや信長殿と争うのは必定。手取川の敗戦でより敵意をもって攻めてくるやも知れませぬ。ある意味、後漢曹操のように振る舞う器量でないと越後と春日山城は守れますまい。ですから景勝殿ではいけませぬのじゃ・・・」

「鳴海は相も変わらず鋭いところを突くのう。景虎はどう見る?」

「どちらかと言えば景虎殿のほうがよろしゅうござりましょう。北条と上杉の同盟でこちらに来られた方ですから。七尾城、手取川の戦の噂も良く聞き及んでおりまする。諸将の間でも人望は厚いと聞いておりまする。兄上の期待は裏切ることはありますまい。ただ、今は表には出さないほうがよろしゅうござりまする。なぜなら、景勝殿の景虎殿に対する嫉妬心が強すぎ、被害妄想的なところがありまするゆえ、何が起こるか予想することは決して出来ませぬ・・・」

「あと一人おるが・・・・・」

「一番理想とされるのは、今の兄上のお気持ちのままに進めることでしょう。ご遺言状はそれでよろしゅうござりましょうが、景勝殿がどう思われるか・・・それを見れば景虎殿も景勝殿も無碍には出来ぬはず・・・」

「鳴海に申したら胸のつかえが降りたわい・・・」

「こうして拝見すると、獅子の印がよろしゅうござりまするなぁ。勝軍地蔵・帝釈天・妙味菩薩の左に兄上の印をおふれになれば諸将の皆は国主としてお認めになるはず」

「ワシ以外に見せられるのはそなただけじゃ。阿賀北の加地城までには道中くれぐれも気をつけるのじゃぞ。なぁに、源太が付いておる。勘五郎もおる。秀綱もおるではないか。小姓の仲川・麻倉も・・・」

「そうでございましたな・・・・」

輝虎様と鳴海院様はそのあと一刻のあいだ毘沙門堂で歓談した。

 

三の丸でようやく宴が始まった。

鳴海院様、源太殿、秀綱殿、景虎様、秀嗣殿の小姓の仲川・麻倉が輝虎様を囲んでの団らんだった。

輝虎様は青苧座の頭である御用商人蔵田五郎殿も呼ばれていた。

 鳴海院様は他に輝虎様の想い人であった姫の縁者も密かに呼び寄せていた。

「待たせたな。そうじゃ、宴の前に皆にも会わせておきたい者がおる。五郎殿、これへ・・・」

「越後青苧座の蔵田でござります。以後、御見知りお気を・・・・」

「おぅ、そなたが蔵田殿か。お噂はかねがね聞き及んでおりまするぞ。御屋形様の戦が上手く行っているのは御仁の御陰とな。阿賀北の鳴海金山と青苧を合わせれば日の本を優に治められましょうぞ・・・」

「源太、相変わらず豪快じゃなぁ・・・。勘五郎、兼続にこう申せ。景勝も時には酒もたしなむことが必要じゃとな・・・。呑めなかったら呑んだふりをすればいいのじゃ・・・」

「御屋形様、景虎が思うに・・・」

「どうした・・・」

「景勝様は酒を召されないので、ただ遠慮されているのでは・・・。それに・・・」

「それに何じゃ?どういうことじゃ。はっきり申せ・・・」

「わたくしが後年こちらの養子にさせていただいた上に、姫さまと四人もの子を授かり、初陣も先にさせていただいて・・・・」

「ハハハ、つまり、それは勝手にひがんでおると言うことじゃ・・・。あれでは棟梁にはなれぬな・・・もう良いわ・・・。酒の肴がまずくなる。源太、どんどん呑むのじゃ・・・

朝まで付き合うぞ・・・」

「恐れ入りまする・・・」

「御屋形様、思い出しまするなぁ、初めての越山の折、わたくし目はまだ十四歳の頃でござりました。小田原攻めで初めて戦をしたときのことでござる。北条の話は景虎殿には聞こえは悪いがの・・・」

「源太殿、昔のことでござる。一向に構いませぬぞ・・・」

「よう言われた。感服つかまつった。この戦国の世で随一の美青年に乾杯じゃ・・・」

「源太、酔うているな・・・」

「御屋形様、義輝様から関東管領を賜った年のことでござるが、小田原攻めで思わぬ退却をされた時がござりましたな。そのとき拙者は戦いでの陣の配置が悪く、それでは負けも同然と激しく喧嘩をいたしました。御屋形様は察知してわたくしめをしんがりの役を仰せつかりましたが、無事春日山城にお戻りになられて良うござりました・・・」

「お前がいなんだら、ワシは灰と化したはずじゃ。目が覚めたぞ。あらためて礼を言うぞ・・・」

「拙者は阿賀北の名も無き城主。恐悦至極にござりまする・・・」

「四度目の川中島の折りでも、秀綱と功を挙げたようだな。頼もしい限りじゃ。秀綱も呑め呑め・・・」

「兄上、源太殿の話が面白うございまするなぁ・・・」

「ワシが見込んだ男だ。景勝と変わってほしいものよのぅ・・・」

「源太殿はかなり酔うてござりまする・・・」

「あいつには多くの借りがあるのじゃ。好きにさせてやってくれぬか・・・。そのうち春日山城の主になるでおろうからなぁ・・・ハハハハ・・・」

「豪快な源太殿がおられれば越後も安泰でござりまするな。当方の苧と金山、銀山が手を取り合えば乱世に終わりを告げるのも夢ではありますまい・・・」

「五郎殿もそう思うておるか。亡き義輝様もそう申しておったな・・・」

景虎や、一つ聞いておきたいことがある・・・」

「なんでござりましょう・・・」

「越後の国をどうしようと想うとる?」

「そのようなことは・・・わたくしめには荷が重とうござりまする。いつも思うているのは、それは御屋形様への忠誠と義の結束でござりまする・・・」

「相変わらずそなたは優等生じゃの。表向きはどうでもよい。ワシはそのうちいなくなる。そなたの心根が知りたいのじゃ。越後はこのままで良いと思うておるのか聞いておる・・・」

「わたくしめは養子の身でござりまするゆえ、政に関しましては景勝様とは軋轢や誤解があってはならぬと常々思うてござりまする。何より、一献交えながら差しで話し合えばわかり合えるかと・・・。それが叶いますれば越後は安泰かと・・・」

「そなたは相も変わらず殊勝じゃのう。ワシが見込んでいた甲斐があると言うものじゃ。よく言った景虎。道満丸のこともある故にな・・・」

「ワシが死んだらある書状を鳴海に見せてもらうが良い。おぬしを信じておるでな。だが、今しばらくは見せられないが・・・」

「仰せのままに・・・・」

「兄上、わたくしめには一つ気になることがござりまする・・・」

「なんじゃ・・・」

「信長殿と家康殿のことでござる。彼らは天下布武をされるのでしょうか・・・」

「配下に羽柴という者がいると聞いたが、おおぼらでなかなかの曲者と聞く・・・」

「何やらこの先大きなうねりがあるのを夢にみるのでござりまする・・・」

「どういう夢じゃ・・・」

「この越後が争乱となる夢にござります。御屋形様の世継ぎの方は上洛せず、どなたかにひれ伏す姿を・・・。わたくしめには見とうございませぬ。いやな予感が押し寄せるのでござりまする・・・」

「そなたは肝が据わっておるのだが、幼少の頃から先回りするところがあったな・・・。ほれ、ワシはまだこのように元気では無いか。越後はこの先も安泰じゃ・・・」

「わたくしめもそのように想いたいのでござりまするが・・・」

「それじゃから、はやく手を打っておくのじゃ・・・。鳴海に託したのには訳があるのじゃ・・・」

「よく分かり申した・・・さて、兄上、ご無礼かと存じましたが、かの方をお呼びしてござりまする・・・」

「誰じゃ・・・」

「お会いすればお分かりになりましょう・・・」

「お久しゅうござりまする・・・」

「はてどなたでござろうか・・・」

溝口秀勝でござりまする・・・」

「そなたはたしか、丹羽殿、いや信長殿の・・・」

「・・・そうでござりまする・・・」

「凜姫は息災でござったか・・・」

「はぁ、母上の妹でござりましたが、十代の頃に縁談が取りやめになりまして。それ故わたくしの方で引き取ってござりました。昨秋労咳を患い亡くなりましてござりまする・・・」

「なに、身罷われたのか・・・ワシとは二つ違いであったの・・・」

「これがその形見でござりまする・・・」

「ワシにか・・・。どうしてじゃ・・・」

「亡くなる前に叔母上がどうしてもと・・・。生涯独り身を通されました・・・」

「・・・・残念無念じゃ・・・」

「やはり、輝虎様の想い人でござりましたか・・・」

「はっきり申す。溝口殿の言う通りじゃ・・・」

「そうでござりましたか・・・。痛みいりまする・・・。それをお聞きし安堵いたしましてござりまする。かの姫の御霊もうかばれましょう・・・」

「鳴海、縁者とは溝口殿のことだったのか・・・」

「申し訳ござりませぬ。溝口殿のご生母さまとはよしみを通じており増した故・・・」

「おぅ、そうであったな。凜姫殿にはいささか詳しいので、不思議に思うておったのよ・・・。」

「源太・・・。溝口秀勝殿じゃ。そなたにご執心のようじゃ・・・」

「溝口でござる。お初にお目にかかりまする。川中島でのご武勇、信長様も大層お気にめしております故、尾張にもたまには旅にと仰せつかわっておりまして・・・」

「私めに士官をせよと・・・」

「滅相もござらぬ。殿はただ・・・・」

「信長殿にお伝え下され。拙者は越後からは出るつもりはござらぬ。二人の方には仕えぬ事はお分かりであろう。二心は片隅にもござりませぬ・・・」

「しかしでござる・・・・」

「しかしもお菓子もござらぬて・・。それよりも、尾張の酒でも戴こうかの・・・」

「それは・・・・」

「秀勝殿、もう良いでは無いか。こやつは、一度言い出したらてこでも動かぬでな・・・」

「申し訳ござらぬ・・・」

「惜しゅうござるな。信長殿も・・・」

「申し訳ござらぬ・・・」

「秀勝殿、話はそれくらいに・・・」

「輝虎様、お見苦しいところを・・・」

「溝口殿、これも何かの縁じゃ。今夜は飲み明かしましょうぞ・・・」

「鳴海院様、有り難き幸せ・・・」

「源太殿も気持ちだけは有り難く受け取るのだぞ・・・。こののち、景虎共々溝口殿とご縁が続けば頼もしきことじゃ・・・」

「ハハー・・・・」

宴は深夜まで続いた。

源太殿や景虎様と秀勝殿は兄弟のように宴席でよしみを通じていた。

数日後、鳴海院様一行は道満丸様を伴い下越の阿賀北衆の途についた。

 輝虎様の書状は年明けの雪解けをもって、小姓の勘五郎が加地城の鳴海院様に届ける手はずになっていた。