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1587<道満丸景虎と小姓の戯言>(天正戦国小姓の令和見聞録)HB

人類の歴史を戦国の小姓の視点で深く追究していきます。

謙信の遺言状『鳴海院~謙信の詔』(御館の乱疾風録)第五章

第五章 天正十五年、御館の乱最終決戦

 

 天正十一年と十二年に景勝軍は何度も阿賀北衆に攻め入ったが、ことごとく惨敗を喫していた。越後内では景勝の高圧的な支配体制に反発する諸将が、阿賀北衆への寝返りを加速させている。兵力も同じくらいになり、接戦を繰り広げた。

重家殿の堅固な守りと湿地帯での地の利を活かした戦いで、景勝側は手も足もでない。景勝殿は対戦中、危うく重家軍に捕らえられそうになったが、なんとか窮地を脱することができた。

七十戦して六十八勝もした輝虎様とはかけ離れた尾屋形像に、配下の兵からは後ろ指を指されるほど諦念の意が増していった。

兼続殿にも問題は多かった。軍師でありながら越後の領民や兵の不安を取り除くのが不得手だったことだ。大きな力に依存する性格を持った景勝殿の思惑に合っていたのかも知れない。

「勘五郎、また蹴散らしたぞ。今年は二回目だな。上々だ。寝返った諸将も半数にはなっただろう。春日山城攻略にはもう少しだが、予定どおり進めるぞ。それにしても景勝殿は下手に動きすぎる。棟梁の器では無いな。軍師の兼続も兼続だ。何を考えているのかさっぱりわからん・・・」

「源太殿、昨年と今年で景勝軍のほうは半減しておりますぞ。このまま行けば、春日山城陥落は目の前ですぞ・・・」

「伊達家と蘆名家が争い、正宗殿が勝ったそうだ。正宗殿は景勝殿を支援するらしいが、そうなると厳しくなるな。新潟城は間に合わせで作った城だ。どうでもよいわ・・・」

「源太殿、景勝殿が秀吉殿に臣従するというお噂を耳にいたしましてござる・・・」

「なんだと、この越後を売り渡す気か。大枚の金銀もろともか。その前に春日山城を取り戻さなきゃいかん。道満丸様も今年は元服する。亡き御屋形様の詔を世に知らしめる時が来たぞ・・・」

「亡き御屋形様の書状はすでに全国の諸将に送ってござりまする・・・」

「鳴海院様も覚悟をお決めに成ったのだろう。決戦が道満丸様の初陣とはめでたきことじゃ・・・。今年は何年じゃ・・・」

「年が明ければ十五年となりまする・・・」

「輝虎様の詔は加地城の土中に丁重にお隠ししよう。阿賀北衆のこの地にあった方がいいぞ。そう鳴海院様に伝えよ・・・」

「源二郎殿の最後の文が届いておりまする・・・。鳴海院様と源太殿へ・・・」

「最後じゃと?どうしたのじゃ・・・」

「中風で倒れたとかで、生前に記されたものでしょう・・・」

「勘五郎、読んでくれぬか・・・」

「謹啓 鳴海院様、新発田重家源太様

 信長様がお亡くなりに成られてから、幾久しくご無沙汰しておりましたことお許しくださりませ。

 さて、越後の国ではその後如何されたでございましょうか。御屋形様の詔は諸将の皆様方にはお伝え申されたでしょうか。道満丸様は無事元服の儀を済まされたでしょうか。心配でたまりませぬが、他ならぬ、鳴海院様、源太殿でござりまする。いつしか、道満丸様を国主にされ、天下に号令をおかけすることでござりましょう。国内では秀吉殿の天下に諸将が追随しており、紀伊、四国、飛騨、備前も次々に平定し、九州も手の内にあり、あげくの果てには朝鮮・明国への出兵も思案するなど、自失呆然とする次第でござりまする。御屋形様のご意思が乱世の終わりを迎えることを切に楽しみにしておりまする。敬白 垂水源二郎」

「あの源二郎殿がなぁ。残念でござる・・・」

 

今は不安と希望が交錯するが道満丸様と源太殿を信じるしかない。

私にあるのは、鳴海院様が然るべき時がくるまで土中に匿っておれというご下命を戴くまでの十年の記憶だけだ。

死を予見した輝虎様は前もって跡継ぎを決めていた。

鳴海院様が生前の輝虎様からある書状の巻物と青苧(からむし)の衣を賜っていた。

家督の記載と今後の越後の財政に関する重要なもので、それが無ければ景勝殿としても正式な国主としての発布は不可能に近かった。道満丸様と野斜丸様は双子の兄弟で諸将には見分けがつかなかった。いま想えば輝虎様はそこに光明を見いだしていたのかも知れぬ。

輝虎様の戦の軍資金は鳴海金山などが主な財源だったが、実に日本の約半分の金の量を占めていた。私の見立てだが、七十回にも及ぶ輝虎様の歴戦の賄いは鳴海金山のおかげと間違いない。越後の青苧(からむし)の織物は二度の上洛で流通網が拡大し、京や大坂では良い噂が広まっていた。

日本の半分ほどの埋蔵量を誇る鳴海金山は輝虎様の外征に無くてはならないものだった。だからこそ輝虎様にとって阿賀北衆の国人の力は不可欠だった。御館の乱が勃発して、秀吉殿に臣従し支援を受けてまで景勝殿や兼続殿が執拗に阿賀北衆を追いつめたのにはそういう理由もあるが、何よりも阿賀北衆が手にする輝虎様のご遺言の書状を闇に葬らなければならなかった。

乱が始まり、翌年になってから、勝頼殿の仲介により上杉憲政殿と道満丸様が和議の交渉で春日山城に向かう途中、景勝側の手の者に惨殺された。

殺害された道満丸様は実は双子の弟である野斜丸様であった。

そのことは鳴海院様・源太殿・秀綱殿以外誰も知るよしもない。斬首を見て景勝殿が認めたほど風貌は似ている。

御館の乱は景勝側の勝利により収束したかに見えたが、阿賀北衆への恩賞はないに等しいものだった。景勝殿や兼続殿の子飼いの上田衆には手厚く扱い、阿賀北衆へはわずかばかりの恩賞となった。

新発田長敦殿がお亡くなりになり源太(重家)殿への家督相続の承認だけに終わった。源太殿や加地秀綱殿は阿賀北衆の取り纏め役だったので、景勝殿への反感が日増しに強くなっていた。

源太殿は当初、兄の長敦殿と安田顕元殿の執拗な景勝側への要請に従わざるを得なくなっていた。長敦殿は当初劣勢であった景勝殿を救うため勝頼殿との和睦に成功をおさめ、景虎派に反転攻勢をかけ乱の収拾に一役をかっていた。

源太殿は元々景虎支持だったが、安田顕元殿の調略に嵌まり景勝支持に回った。安田殿は奇襲で本丸を攻めたのは、景虎側が先と不義の流言を吐いたので、源太殿は嫌疑を抱きつつも景勝側で戦った。

その後、鮫ヶ尾城で景虎様と華御前の自害の報を受けたが、これも安田殿の調略で堀江宗親殿が寝返った為ということを知らされる。その上、安田殿と景勝の誓約書が表沙汰になる。源太殿の怒りは最高潮に達していた。

落胆しながら、兄に従わざるを得ない状況にあった源太殿は、景虎側にいた本家の秀綱殿を攻め一旦加地城は降伏したが、それは見せかけの四面楚歌でもあった。そうすれば景勝側に目くらましが出来る。

景虎側にいた鳴海院様にとってそれは織り込み済みだった。源太殿の安田殿への逆調略でもある。

源太殿は本家に攻撃したという名目を兄とその家臣団に知らしめる。降伏の書状を認めればそれで事は済んでいた。

景勝殿の高圧的な態度に阿賀北衆や景勝側で戦っていた諸将も次第に反抗の狼煙をあげてきた。

道満丸様も元服を迎え逞しく育っていた。

輝虎様の遺言の書状を見た源太殿はあらためて、道満丸様と鳴海院様への忠誠を強くし景勝・兼続軍打倒へ向かうことになる。

景勝殿が秀吉殿に春日山城にある多くの埋蔵金を進上し、臣従したことが諸将の反感を買っていた。越後国主の器ではない景勝殿はそれを軽んじすぎた嫌いがあった・・・。

秀吉殿の再三の和睦交渉にも源太殿は頑として応じるはずもなかった。和睦の条件が景勝殿と同じ阿賀北衆への単なる助命の布告にすぎなかったからだ。兵力と士気では景勝・秀吉軍に充分勝っていた。

阿賀北衆軍と景勝・秀吉軍との最終決戦はもはや避けられないこととなった・・・。

 

天正十五年八月、秀吉の援軍を後ろ立てにした景勝・兼続軍を前に、加地秀綱・新発田重家連合軍は阿賀野川を挟んで対峙した。その陣には女武者姿の鳴海院様も馬上に構えていた。

秀吉殿は源太殿との和議を唱えたが、それは単なる助命の保障だけであった。源太殿にはさらに怒りが増していた。

道満丸様は十五万の兵を束ねる総大将として、阿賀北衆の諸将を纏め反撃に出ようとしていた。輝虎様の川中島以来の決戦に他の諸将も固唾を呑んで勝敗の行方を見守っている。

道満丸様の初陣の旗印が秀吉・景勝軍を襲う。

景勝殿への弟の野斜丸や父や生母の仇討ちという名目もあるが、越後と関東を平定後上洛して「天下布義」で日本の戦乱の世を終わらせるという輝虎様の想いを遂げる使命がある。秀吉殿の野望を打ち砕かなければならぬ。

輝虎様の遺された越後の金銀と青苧のおかげで全国の武将への恩賞は約束されている。小田原の北条氏や東北の蘆名、伊達家も臣従し、徳川殿には日本の西半分を治めてもらう手はずも整った。

この戦いで道満丸様が勝つのか、景勝・秀吉軍が勝利をおさめるかは、私には伺い知ることは出来ない。

決戦を前に鳴海院様は私を城跡の土中深く隠すよう下知をした。小姓の麻倉と仲川は青苧の遺言状を埋めたあと農家に落ちのびた。無事生き延びればこの二人は末代まで秘密を守ってくれるはずだ。

道満丸様は名を改め越後の国主になって秀吉殿の野望をうち砕いてくれるだろう。景虎様と華御前は味方の裏切りで自害して果てたが、道満丸様は輝虎様の正式な世継ぎである。私はそれをこの目で見るまでは死んでも死にきれない。宿敵、秀吉・景勝・兼続軍への最終決戦のお膳立てもできた。

輝虎様の詔は天下に号令をかける美しき青苧の巻物。その遺言状の巻物はいつまでも土中に棲みついている訳にはいかない。

景虎様と兄の氏規様は敬い合っていたが離ればなれになった。景虎様は氏康様の七番目の末っ子で輝虎様の養子になる前は妻を娶っていた。

景虎様は相越同盟の折り、妻と離縁して急遽越後に来たわけだが、輝虎様の姪である華姫様と祝言を挙げた。ようやくその子、道満丸様が輝虎様の後を継ぎ乱世を終わらせるのだ。

鳴海院様、道満丸様、源太殿、秀綱様は無事だろうか。私は輝虎様の青い巻物の護衛に過ぎない身だ。

私の元服にはまだ早すぎる。

道満丸様はいつ私を城跡から探し出してくれるのだろうか。

 

(了)