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1587<道満丸景虎と小姓の戯言>(天正戦国小姓の令和見聞録)HB

人類の歴史を戦国の小姓の視点で深く追究していきます。

謙信の遺言状『鳴海院~謙信の詔』(御館の乱疾風録)第三章

第三章 風雲急、春日山城

 

天正六年の正月を迎えた。輝虎様は機嫌が良くなっていた。三度目の上洛を勢いのあるうちにすべしと言う家臣の総意も取り付けたからである。

だが悲劇は前触れも無く訪れた。

三月九日には軍務会議の後、輝虎様は厠へ向かうが突然倒られた。

その後昏睡状態となり十三日に亡くなられた。

 春日山城は騒然となった。

 輝虎様の遺言状がなかったからだ。

 その遺言状の在処は勘五郎のみが知っていた。

 お家騒動の一部始終はおぼろげならまだ私の記憶の中にある。

 

 景勝殿には輝虎様と景虎様への一方的な鬱積を抱いていた。自虐的な性格が突如攻撃的になり、自失の念に支配されていた。亡き輝虎様の景虎様への偏重的な扱いという誤解は取り除けなかった。

輝虎様は国主で何事も公平に見る方だ。景虎様は北条家からの養子だから気をつかわなければならない。後継者を決めるのには第三者の意見も必定。その点から見ても景勝殿は景虎様の後塵を拝していた。

 輝虎様がお亡くなりになって十日ほどで、景勝殿は家督相続の書状を書き、その正当性を国中の大名に布告した。景勝殿と兼続殿は輝虎様の生前に内密で遺言状の内容を知ってしまったがために、書状の有無には躍起になるのは当然のことだった。事が日にさらされたら景勝殿と兼続殿は自滅からは逃れられない。それが奇襲作戦の行動につながった。

 景虎様は遺言状のことは何もご存じなかった。だが、景勝殿と兼続殿への相互不信は日に日に高まっていった。

 

「兼続、御屋形様の亡骸はワシが計らうゆえ、まずは本丸と金蔵と武器庫を占拠せよ。景虎には一歩も立ち入らぬよう警告しておけ。上田衆で脇を固めろ。阿賀北衆には抜かりなく対処せよ・・・」

「分かり申したが、景勝様、まずは御屋形様の遺言状を手にしませぬと・・・」

「そうだったな。そうせよ・・・」

「殿・・・・」

「なんじゃ、どうした・・・」

「御屋形様の御遺言が消えてしまいましてござりまする・・・」

「・・・・・・・どうしてだ。以前兼続とそっと見たではないか・・・・」

「小姓の勘五郎はどうした?」

「ハ、今城内を探しておりまする・・・」

「あいつめ、何処ぞに隠れおったな。兼続、早急に捕らえるのじゃ・・・」

「ハハ-・・・」

「御屋形様の書状を誰にもみせてはならぬ。兼続、良い考えはないか・・・」

「こうなったら、しかたがござりませぬ。早急に殿が新しくお作りなされませ。それを国中に布告するのです・・・」

「それで良いのか・・・」

「よろしゅうござりまする・・・」

「自信があるようだな。それで不都合は生じないのか・・・」

「それは・・・・」

「それ見よ、偽りのワシの印判では世継ぎは無理と言うことでは無いか・・・」

景虎殿も同じように為さっておりまするぞ・・・」

「勝頼殿と上手く通じておるからのう。切り崩す策でもあるのか・・・」

春日山城の金銀で調略は可能かと存じます。領地も少しおわけいたしましょう。勝頼殿はさきの長篠の戦いで惨敗し軍資金も底をついておるご様子。早急に新発田長敦に交渉を任せましょうぞ・・・」

「上手く行くのか?金で動くようなお方とはとても思わぬがのう・・・」

「やってみなければ分かりませぬ・・・」

「今日は何日だ」

「三月も中程になりまする・・・」

「それではお前に任せる。明日にでも布告するのじゃ。伊達、北条、織田、朝倉、武田、毛利、島津、長宗我部、全てにじゃ・・・」

「ハ・・・・・・」

「しかし兼続、御屋形様のご遺言の書状が先だぞ。あの書状があってはワシもお前も切腹ものじゃ。布告を出しても諸将は振り向きもせぬであろう。ワシは逆賊となる。まずは小姓の勘五郎だ・・・。引っ捕らえろ・・・。まだ城内にはいるはずだ・・・」

「ハ・・・・・・」

 

 勘五郎はすでに春日山城を脱していた。

 私は景勝殿の配下に追われた勘五郎に背負わされながら、春日山城下ある民家にしばらく匿った。運良くそこは越後青苧座の蔵田五郎殿の大きな商家だった。

「お頭様、お客様でございます・・・」

「こんな夜更けに誰じゃ?名を聞いてもらわぬか・・・」

「ハ・・・・」

「どなたであった?」

「勘五郎と申しておりました。かなり憔悴しておるようですが・・・」

「勘五郎・・・すぐお通ししなさい」

「蔵田様・・・・・・」

「勘五郎殿、どうされたのじゃ。泣いてばかりでは分からぬ。真吉や茶を持ってこい・・・」

「・・・・・・・」

「どうされたのかと聞いておる・・・・」

「御屋形様が・・・・・・・・」

「輝虎様がどうされた?・・・・・」

「十三日寅の刻に身罷りになられました・・・・」

「何ですと・・・・」

「九日の軍議の後、厠でお倒れになりまして・・・・」

「あぁ、なんとお痛ましや・・・」

「何日かお眠りになされ、そのまま身罷ってござりまする・・・」

「誠であれば一大事じゃ。真吉や、これへ・・・」

「すぐに堺へ使いを出しなさい。垂水源二郎殿といえば分かるが、名や風貌を変えているかも知れぬ。服部殿にも伝えるのじゃ・・・」

「勘五郎殿とやら、輝虎様のご遺言はござったのか・・・」

「こちらでございます。鳴海院様以外お見せするなとご下命を賜っております・・・」

「つまり、御遺言状ということだな・・・。この美しい青い巻物じゃな・・・」

「そうでござりまする・・・」

「・・・・・・・・」

「中身はどなたもご存じありませぬ・・・」

「勘五郎殿、そうとわかったら・・・堺にいる源二郎殿がこられるまでここで匿って下され。越後内は何処も関所で厳しいはずじゃ。源二郎殿と扮装して一緒に阿賀北に行くのじゃ。無事御屋形様の詔は必ずお届けしなければいかぬぞ。景勝殿は執拗に追う性格のお方だ。鳴海院様も輝虎様がお亡くなりになった事を知れば狼狽するとは思うが。阿賀北衆にたどり着くのは難儀になるじゃろう・・」

「どうかお導きくだされ・・・」

「なに、心配されまするな。源二郎殿が付いておるから安心せよ・・・」

「かたじけのうござりまする・・・」

 輝虎様亡きあと、翌日には景勝殿は本丸を占拠し、金蔵と武器庫を抑えてしまった。我こそが正当な継承者であるという布告を三月に全国に発給したが、正式な輝虎様の印判ではなく勝手に作ったものだったから、諸将からは嫌疑がかけられていた。景虎様も対抗して自前の布告の書状を作っていたが、それが景勝派と景虎派を二分するお家騒動に発展してしまった。

 初めの頃景虎派は北条の支援と勝頼殿との密約で景勝殿を追い込んだが、景勝殿は源太殿の兄の協力で勝頼殿への大量の金銀の供与などで、景虎派への離間の計が功を奏し、大勢の逆転に成功していた。

天正七年四月、劣勢に立たされた景虎様は勝頼殿の仲介で景勝殿との和解交渉が成立した。和議のため春日山城へ向かう道満丸様と上杉憲政殿は景勝側の者に斬り殺される。景虎様の妻である華御前は自害、鮫ヶ尾城で景虎様は堀江殿の裏切りにあい自刃した。

景虎様の二人の姫は、配下の数人の護衛で紀伊の服部家に向かった。兄の北条氏規殿に密書を送り、家康殿と水面下で繋がっていた服部半蔵氏に伝わった。姫たちは伊賀と甲賀の忍びの家に匿われた。その後はくノ一となるかどこかの御前になるか知るよしも無い。

これで御館の乱は終息したかに見えたが、阿賀北衆では大きな動きがあった。斬り殺された道満丸様は実は野斜丸様であることはまだ誰も気づいてはいない。

景勝殿と兼続殿は輝虎様の遺言状はに気づいてはいないと、思われてはいたが、すでにその二人は輝虎様の留守を見て遺言状の盗み見をしていた。景勝殿の輝虎様への不信は亡くなる前から大きく根付いていた。

形の上での酒席などに顔を出さないのにはそういう理由があった。

 

道満丸様の死は諸将の間では公の事実として受け入れられている。源太殿の兄は景勝派で鳴海院様は景虎派だった。阿賀北衆の安田顕元が元々は景虎派だった源太殿を調略で景勝派に引き寄せていた。

やむなく源太殿は兄と共に加地城を落とす羽目になった。源太殿は形の上では加地城を落としたことにする虚偽の策にでる。

源太殿はすでに道満丸様の正体を知っていたからだ。

鳴海院様は源太殿が安田殿の奸計の策に陥ったと周囲に思わせ、韓信の股くぐりの計を巡らせたと察していた。兄の長敦殿への逆奸計の策を講じたことになる。源太殿は兄上とは確執が続いていた。

それでも鳴海院様は気丈な方だった。

正式な輝虎様の詔を源太殿に見せた。源太殿は涙ながらに秀綱殿と鳴海院様に詫びを入れた。道満丸様は加地城で元服を迎えるまでとの命も受けていた。

天正八年、源太殿は新発田城主である兄長敦の病死により家督を継いだ。源太殿は五十公野治長から新発田重家に名を変えた。それまで源太殿が城主だった五十公野城は勘五郎に与えて、名を五十公野信宗とした。

このときから、道満丸様を旗印にして、阿賀北衆は重家殿を中心に景勝・直江軍と来る決戦に向けて士気が上がっていった。

加地城の修復中の屋敷の一画に源太殿は鳴海院様を訪ねた。

「源太、いや重家殿、いま我らは大変なお家騒動ではあるが、ご苦労な事でござったな

・・・・」

「わたくしめはずっと源太でござる。こちらの方こそ鳴海院様にはご迷惑をおかけもうした。許して下され・・・」

「分かっておったぞ・・・。仲川、麻倉、これへ・・・」

「なんでござりましょう・・・・」

小姓の仲川と麻倉は丁重に青苧の巻物を差しだした。

「これは御屋形様のご遺言状じゃ・・・」

「ご、ご遺言でござりまするか・・・・」

「生前、そなたと共に春日山城にお見舞いにいったであろう。そのときに兄上から内密に預かっていたのじゃ・・・」

「こちらへは道満丸様もご一緒でしたな・・・。しかし、こんなことになろうとは思いませなんだ・・・」

「とくとその目で兄上の詔を拝謁するのじゃ・・・」

「ハハー、恐れ多き事でござりまする・・・」

「そう畏まるではない。兄上とそなたの仲ではないか・・・」

「・・・では、拝謁つかまつりまする・・・」

源太殿は息が止まる形相で手が震えていた・・・。

「こ、これは・・・、なんとお美しい巻物でござりまするな・・・」

 鳴海院様は輝虎様が亡くなられて二年目にして初めてご遺言の巻物を見せた。

 私もやっと日の目を見ることができた。

 主文と添え文が述べられている。全て血書であった。

獅子の武将印、地帝妙、勝軍地蔵、帝釈天妙見菩薩、輝虎様の印判。誰にも真似できない厳かな遺言である。

真に輝虎様の遺言状と呼ぶにふさわしい青苧の巻物であった。

「遺言。輝虎亡き後は次のように取り計らえ。

主文、

  • 越後の国主である尾屋形は道満丸とする。名を併せて御実城とせよ。
  • 御中城は景勝とし、元服するまで道満丸の後見人とせよ。
  • 関東管領職は景虎とする。景勝とともに道満丸を補佐せよ

添え文、

  • 春日山城で新たな幕府を開くべし。
  • 鳴海金山や他の金銀を十分蓄え政や領民への大元とせよ。
  • 交易を拡充し、大明帝国との交流を模索せよ。
  • 天下布義で乱世を終わらせるべし。義輝様の意思を重宝せよ。
  • 諸将への公平な恩賞を与えるべし。
  • 領民の年貢は最小限とし、生活の安定を保障せよ。
  • 阿賀北衆は春日山城を守り新たな国主の補佐をせよ。
  • 内外の諸国とは和をもって対処し、上洛で幕府の布告をせよ。
  • 武田氏、北条氏とは姻戚を結び共に栄えるべし。
  • 道満丸の元服をもって全国の諸将をひとつに纏めよ。

天正五年八月 上杉輝虎・・・」

 

源太殿は感涙にむせんでいた。

「亡き輝虎様の印判と書状じゃ・・・。間違いない・・・」

「そなたを調略した安田顕元殿は景勝殿との板挟みで自責の念で自害したそうじゃ」

「それは聞き及んでおりまする・・・」

「だいぶ悩んでおいでだったそうな・・・」

「そうでござりましょうな。安田殿の堀江宗親殿への調略で景虎様は鮫ヶ尾城で自害され申した。当然でござろう。裏では景勝殿と兼続殿が糸を引いていることは間者からの話でも分かっておる故・・・。自分の思慮の浅さはかさに呆れておりまする・・・。安田殿はわたくしめの命の恩人成れば、情を重んじたばかりに景勝側に組み従ってございます。顕元殿が景勝殿に誓紙を差しだしているとは存じませんでした。わたくしめは景虎様とはよしみを通じておりましたので、お支えしようと思うておりました。しかし亡き兄は元々景勝殿を慕っておられた故、わたくしめも悩みましたが、結果的には景勝殿に加担したも同じ。わたくしの罪は重とうごぞざりまする・・・」

「源太殿、そなたのことはわたくしめが良う存じておるでな。その事はもう良いでは無いか・・・」

「ハ、痛みいりまする・・・」

「源太殿、兄上のご遺言どおり、我らは乱世を終わらせねばならぬぞ。春日山城に幕府を開くのじゃ。それには景勝殿と兼続を亡き者にしなければ成就できぬ。内外の諸将の協力も取り付けねばな・・・」

「ハ、おおせの通りにござりまする・・・」

「源太殿、ここまで来たら、亡き兄上の御遺言は全国の諸将に告げねば成らぬが、景勝殿の後ろには兼続が指をくわえてこちらへの罠を仕掛けているという噂じゃ。心してかからねばならぬ・・・」

「とにかくこれからは道満丸様を旗印に阿賀北を取り纏め、春日山城を奪還して越後をお守りせねばなりますまい。なぁに、青苧と鳴海金山があれば越後は安泰でござる・・・」

「そなたはあいも変わらず鞘には収まらぬ者のようじゃな。交易と周りへの感状の気持ちも忘れるではないぞ・・・皆をまとめ上げる器量は上々のようじゃ・・・。亡き輝虎様がそなたを国主にと言われたことも一理あるでな・・・」

「お戯れを・・・。拙者はそのような者にはなれませぬ。道満丸様をお支えするのが天分と心得ておりまするゆえ・・・」

「分かっておる。分かっておるが、亡き御屋形様はそなたのそういう所が気に入っておられたのじゃ・・・」

「年が明ければ、景勝殿と兼続がこの阿賀北衆を攻めてくることは必定。加地城が修復するまで新発田の城で道満丸様と秀綱殿とともに足をお運びくだされ・・・」

「そう気を遣わなくてもよい。城の修復は奸計なのであろうが・・・」

「こちらに赴く口実にもなりまするゆえ・・・」

「道満丸が元服を迎えるのにまだ日を要するが、源太殿、それまで武術を身につけてやってほしいのじゃ。この先そなたの助けにもなると思うのだが、いかがじゃ・・・」

「もったいないお言葉・・・かしこまりましてござりまする・・・。ですが、少々手荒になりまするぞ・・・」

「構うことはない。手加減は無用じゃ・・・。おぅ、そうじゃ、源太殿、そなたに会わせとうお方が控えておる・・・」

「どなたでござりまするか・・・」

「お会いすれば分かる。奥の部屋で待っておいでじゃ・・・」

 

「源太殿か・・・・」

「源二郎殿であらせられるか・・・」

「・・・・・」

「これはこれは、垂水殿。お懐かしゅう・・・川中島以来でござる・・・」

「源太もすっかり偉くなりよったものよのぅ。息災であったか・・・」

「ハ・・・・・」

「今は亡き尾屋形の命で堺の青苧座衆を束ねておる。御所と諸侯の内偵も兼ねてな・・・。

青苧と晴海金山は亡き御屋形様にとって天下布義への貴重なものであった。三度目の上洛の折には多大な軍資金がいる。それを賄うには余りあるものだが、諸侯の実情把握はもっと大事なこと故、御屋形様はワシを川中島の戦ののち、堺に行かされたのだ。それに、ワシは輝虎様の影武者と言われていた故、越後にはいられなんだ・・・」

「そうでござりましたか・・・」

「今後は乱世を終わらせるという、亡き義輝様と御屋形様の意思をお継ぎになる方の手助けをしたいと思うておる。諸国の事情を把握するのは大事なことじゃてな・・・」

「しかし、源二郎殿は川中島では御屋形様の代わりに、本陣の信玄殿に太刀を振る舞うとは・・・。まさに武将の鏡にござりまする・・・」

「なに、勢いで行ったまでよ・・・。源太も良い働きだったではないか。秀綱殿もだ・・。阿賀北衆は皆目立っておったな・・・・」

「この日の本の乱世はいつ終わるのか気になりまするが・・・御屋形様がお亡くなりになり、この先どうなるものやらわかりませぬ。諸将の動向を知ってこそ良き政が成就されると信じまする・・・」

「そうじゃな。今となっては成るようにしかならぬと言うことか・・・。道満丸も大変じゃが覚悟を持って肝を据えねばならぬな・・・」

「しかと受けた賜ってござりまする。源二郎殿、亡き御屋形様のご意思に沿う覚悟じゃ。今後とも太平の為お力を賜りたい・・・」

「道満丸様におかれましては、まだ元服前の御身なれど、敬服いたしておりまする。源二郎しかと承知いたして御座りまする・・」

「そうか、よろしく頼むぞ・・・」

「ところで、源二郎殿、京の動きはどうじゃ・・・」

「幕府が無くなり、信長殿が上洛し、京都はいささか諸将の人質のような有様ですな。天下布武を唱えて諸将を配下におく所存のようでござるが、臣下の謀反の噂もございます。いつになるか存知ませぬが、そう遠くない頃に事が起こるというのは、堺では内密に知れわたっている様子。家康殿は信長殿と同盟を結んでいると言われますが、実質的には信長殿の子飼いに等しい立場ですな。三河には刻も早く戻りたいのでしょう。氏規殿も申しておりました。徳川殿と氏規殿は今川での人質という苦境を過ごしましたから絆も深いのでしょう。服部正成殿から聞き及びました・・・」

「秀吉殿と勝家殿との不仲は確かなのか・・・」

「家臣の間でも騒がしいそうでござりまする・・・」

明智殿の玉姫君は息災か・・・・」

「と言いますると・・・・・」

「なに、亡き兄上の想い人と良く似ておいででしてな。ふと思いだしたまでじゃ・・・」

「その姫は確か凜姫様・・・・。あのお美しさは日の本一でござりましたな・・・」

「今更思い返しても仕方が無い。兄上を慕いながら身罷られたのじゃ。もう良い・・・・」

「ハハー・・・・」

「ところで源二郎殿、兄上が亡くなられたのは我らが春日山城から戻って余り日が経っておらぬではないか。蔵田殿のその後のことは知っておろうか。勘五郎には聞いてはおるがいささか心細うてな・・・」

「鳴海院様、わたくしめは亡き御屋形様の命で堺に身を寄せ、諸国の内偵を仰せつかっておりました故、積もる話もございまする・・・

「奥で茶でもゆるりとお飲みなされるか・・・」

「かたじけのうござりまする・・・」

 源二郎殿は鳴海院様に一部始終を語り始めた。

「源二郎殿は兄とは良く似ておったな。道満丸と野斜丸は双子じゃったが、同じくらいの風貌ではあったな。川中島の戦いでは武田領でも噂は絶えぬでな・・・」

「滅相もござりませぬ・・・」

「まぁよい。兄上の事じゃが・・・」

「以前から中風を患っておられまして、医者からも諫言されたとの事ですが、無視されて日々の食生活は止まることが無かったそうです。連戦の疲れから抑制が出来なかったのでしょう・・・」

「あのときは相当具合が良くなかったと言うことか・・・」

「蔵田殿も申しておりました。正直、気をつけないと危ういと・・・」

「そうじゃったのか。兄上が詔をわたくしに預けたのも分かるような気がするが。ここまでお家騒動が大きくなるとはおもわなんだな・・・」

「景勝殿が突如本丸を奇襲されましてな。金蔵と武器庫を手中に収めてしまいました。日を待たずに、勝手に家督を継いだという布告を全国にだされましてな。拙者も驚いておりまする。景虎殿をいち早く支持した柿崎殿は景勝殿を支持する者に殺害される有様。景勝様は三の丸への攻撃に踏み切り、景虎様は憲政殿の御館に居を構えました・・・」

「居を移されたのか・・・」

「そうでござりまする。亡き御屋形様とは違い、景勝様は諸将に対し高慢な態度で従うよう布告したのに対し、反発する諸将が後に絶たず、お家は景勝殿と景虎殿の二大勢力で一進一退の攻防が一年ほど続いたでしょうか。その間に、勝頼殿は景虎殿と当初密約を結んでおりましたが、景勝殿の調略で勝頼殿は手のひらを返し、景虎殿を窮地に立たせたと・・・」

「どのような調略なのじゃ?」

「なに、たいした事ではありませぬ。おそらく春日山城の金銀をちらつかせ、どこかの所領を差しだしたのでございましょう・・・」

「勝頼殿も度重なる戦いで戦費も底をついていたということか・・・」

「そうでござりましょうな・・・勝頼殿は景勝殿に寝返っても、中立の立場に扮しておいででした。幾たびか和議の交渉まではいくものの双方の言い分には溶け合うものはござりませんでした・・・」

「勝頼殿を説き伏せたのは誰じゃ?」

新発田長敦という者でござりまする・・・」

「源太殿の兄では無いか・・・」

「兄の言いつけには背くわけには行かず、景勝殿の陣営で戦ったと聞いておりまする・・・」

「源太殿の不徳とは言いがたいな・・・」

景虎様の死去には源太殿も泣いておりましたなぁ・・・」

「源太殿が景勝殿からの恩賞云々での反抗ではなかったことは分かっておる・・・」

「景勝殿もこれで棟梁としての器がないと、諸国にしらしめたと同じでしょう・・・」

「源二郎殿、話はよう賜りましたが、これからが大変じゃ。お家騒動はこの先長うかかりまするな・・」

「道満丸様が元服を迎えるまでの辛抱にござりまする・・・」

「詔にもそう書いておったな・・・」

垂水源二郎殿と鳴海院様は回想に時を忘れていた。