<道満丸景虎と小姓の戯言0206>episode206,season3
(戦国小姓の令和見聞録)
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お屋形様:上杉道満丸景虎
見聞録及び戯言検め:小姓 仁科源太
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◆天正四百五十二年 弥生月十二日
「天正大地震の教訓」
天正十五年の一年前一月には令和時代の様なマグニチュード8という大地震がござった。宣教師フロイス殿も当時の様を書き残しておる。各戦国大名の居城はことごとく崩壊したのだそうじゃ。春日山城は大事には至らなかった。石川、富山、福井、京都、大阪の地域では活断層が多いにあるそうでござれば、何百年、何千年という周期で大きな地震があると聞き及んでおる。二千二十四年の能登大地震はその系統でござろう。原発の設置は止めておくべきでござった。活断層の真上に建設したというのは領民の安全を考えれば差し控えるべきでござった。お屋形様の祖父が能登七尾城を攻略したのは地震の十年前あたりじゃが、そのあたりに大地震が襲ってきたのは地形的には合点が行く。大多数の領民の尊い命が奪われておったが歴史的な資料は、宣教師達(布教による日の本の植民地化を進める先兵隊の役目)の記述を元に思い描くしか手立てはござらぬ。その後は、十五年に秀吉殿が九州を平定し、伴天連禁止令が発布されておる。お屋形様が御館の乱の後秀吉殿に臣従した景勝殿を相手に勝利した年でもござった。(令和の時代に迷ってきた後のことは歴史がすっかり変わっておるようじゃが)伴天連の大陸では、大英帝国の内紛でメアリー・スチュアート殿がエリザベス一世の命で処刑されておる。一五八六年~一五八七年は戦国の世の転換期であったのかも知れぬ。
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